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「知的生産の技術」教育(自己表現教育)の実験から見えてきたもの
久恒啓一
宮城大学 事業構想学部

 平成9年度に開学した宮城大学において、発題者は「自己表現」をテーマとした3つの科目(情報表現論・知的生産の技術・プレゼンテーションの技術)を中心に担当している。 学校教育は「読む・考える・書く」能力を養成することを課題としているが、社会で仕事をする場合に必要とされるのは、人の話を聞き、ものを読み「理解する力」、新しいことを考え出す「企画する力」、相手にあわせて情報を「伝達する力」という3つの基本的な能力とそのバランスである。それは自分や他人とのコミュニケーション能力でもある。
  この3つの科目では、情報表現論では図解表現を、知的生産の技術では文章表現を、プレゼンテーションの技術では口頭表現を養うことを目標に授業を行っている。
  「情報表現論」では、全体の構造と部分同士の関係を表すことができる図解表現を主に扱っている。図解で表現をするためには個々の事実や思考の断片を並べ、配置しながら、一つのまとまった体系につくりあげていくことが求められる。 この3年間の実験でわかったことは、学生のほぼ全員が根強い文章コンプレックスに悩まされていることだった。図解という表現手段を獲得した学生は、文章コミュニケーションの呪縛から解き放たれて、表現という行為に没頭する姿を見せた。
  「知的生産の技術」においては、自己を表現する過程で自己が確立されていくという考え方から受講学生自らの自分史の執筆を題材にとった。「人生のテーマ」を発見するという目的のために自分史という大型で切実な知的生産物を完成させることが授業の目標である。
  「知的生産の技術」の経験の中から、人生のテーマに大きく影響を与えるのは、どのような環境の中で育ったかという「生い立ち」、いつ、どこでどのような人物や書籍、言葉に巡り合ったかという「出会い」、そして遭遇した事件や「出来事」であるとのモデルができてきた。この3つのキーワードから自らの人生を振り返ることで、自らのテーマを発見、発掘できる可能性が高くなる。
  この自分史教育を大学教育の中で行う時期についてみると、大学の1-2年生の後期にこの授業を行ったことは大きな意義があったと感じている。それは大学入学後に多くの学生が襲われるアイデンティティの崩壊と再構築の時期に当たっているからである。またこの自分史という知的生産物は、3年生の冬頃から4年生の前期を中心に行なわれる就職活動では、企業から要請される自己のアイデンティティを問う作業を既に終了しているということになっていい影響を与えている。
 「プレゼンテーションの技術」では、2年間にわたり図解を用いて編集・企画・発表をキーワードに実践的な授業を展開した。プレゼンテーションへ臨む態度として4つのランクを設定し自らを判定してもらって始めたが、授業の目標として掲げた「ワンランクアップ」は自己判定ではあるがほぼ達成できている。また自己評価だけでなく、毎回プレゼンテーションを行い相手からの評価をもらうというインセンティブを活用しているが、受講生の参加意識も高いものがある。テーマは「自己紹介」から「香港への旅行案内書を企画する」「21世紀の日本を構想する」まで多様な題材を用いた。

以上を踏まえて、3年間の自己表現教育の実験から見えてみたものを紹介する。
(1) 自己表現力はインターネット時代に必須の能力となりつつある。
  情報と手段の収集活用能力・意欲、そして情報を取扱う上での理解力もあわせて情報リテラシーと呼ぶが、インターネットの登場によりこのリテラシーを用いることによって情報は膨大・迅速・的確に収集できるようになった。今後必要な能力はそれらの膨大で異質の情報を整理し、自らの考えを創り出し、相手に伝える能力である。この能力獲得のために図解を中心とした自己表現教育が有効である。
(2)自己表現教育に有効なテーマは「自己」と「社会」である。
  自己表現というテーマで授業を行う場合、図解・文章・口頭で表現する対象となるテーマの選び方は教育効果を左右する要素となる。3年間の実験でわかったのは、「自己」に深く関わるテーマと、「社会」に広く関わるテーマが効果的ということであった。情報というものは、主体的に自分が関与したもの、自分が深く処理したもの以外は頭に残らないのであり、題材が自分に関係のある情報は教育効果が高い。個人の問題とされてきた「自己の探求」と現実の「社会との関わり」は、自己表現教育のテーマとして極めて有効である。大学教育においても、「人生」「生き方」「ライフデザイン」に焦点をあてた教育が必要であるということである。「いかに生きるか」という視点を強く意識した授業が必要である。また社会に関するテーマの選択は、教員自身の社会との関わりや目線が問われてくる。
(3)自己表現教育と総合的学習のねらいは重なっている。

  小中高等学校に新たに導入される総合的学習には次の2つのねらいがある。
1)自ら課題を見付け、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、よりよく問題を解決する資質や能力を育てること。
2)学び方やものの考え方を身に付け、問題の解決や探求活動に主体的、創造的に取り組む態度を育て、自己の在り方生き方を考えることができるようにすること。
1)は前に述べた「社会」に対する関心を主題としており、
2)は「自己」の探求を主題としていると理解したい。自らの性格・関心・能力に対する認識を前提として、自らテーマをみつけ、情報を深く理解し、自ら考え企画し、その成果を的確に表現し伝達する力をつける教育が次代を担う若者に必要ということである。総合的学習を考えるにあたっては、図解を中心とした自己表現教育に加えて、大学で教員の工夫で行われている多種多様な演習(ゼミ)がヒントとなるのではないか。
(4)自己表現教育は職業選択へと発展する。
  また、学生が社会に出るにあたって、どのような考え方で職業を選択するかという大きな問題がある。自己に関する深い認識と社会に関する広い関心を植え付ける教育の着地点は、社会の中で自己を表現する職業選択の問題へつながってくる。 職業という観点からは、学歴、経歴、職歴というような言葉があるが、以上の教育実験を踏まえて次のような考え方を提示してみたい。本来、学歴は何を学んだのかを示す指標であるべきあり、「学習歴」のことではないだろうか。また経歴という言葉は、どのような役職を経てきたのかというより、どのような経験を重ねてきたのかという意味で「経験歴」と理解したい。そして職歴とは、就労した職業や職種の歴史ではなく、仕事の歴史である「仕事歴」と捉えたい。この学習歴・経験歴・仕事歴の総体をキャリアと呼びたいが、今後は人生のステージに応じてこの3つの間を行き来する時代になるであろう。就社、就職の時代から「キャリア開発」の時代になってきたということである。
 以上4点述べたように、図解を中心とした自己表現教育は今回実験を行った大学教育のみならず、総合的学習等を中心とする初等中等教育の抱えている課題にも貢献できる可能性が高いと感じている。

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