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【生誕百周年記念展 棟方志功―わだばゴッホ
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2003/5/5 (月) 08:31:35
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久恒啓一
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5日、宮城県美術館に行ってきました。
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鍛冶屋の息子は
相槌の火花を散らしながら
わだばゴッホになる
裁判所の給仕をやり
貉の仲間と徒党を組んで
わだばゴッホになる
とわめいた
ゴッホになろうとして上京した貧乏青年はしかし
ゴッホにはならずに
世界の
Munakataになった
古稀の彼は
つないだ和紙で鉢巻きをし
板にすれすれの独眼の
そして近視の眼鏡をぎらつかせ
彫る
棟方志功を彫りつける
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友人の草野心平の詩「わだばゴッホになる」の一節。心平はこれを筆書きにし、
病床にあった晩年の志功を見舞うと、志功はベッドから下りて、
両手を合わせて喜んだとのことです。
青森の棟方志功記念館には昨年、東北電力での講演の帰途に立ち寄ったことが
あり、棟方志功の迫力ある人物像と仕事振り、圧倒的な仕事量に強い印象を
受けました。
あの目、あの動き、あの笑顔!
写真の土門拳、デザインの亀倉雄作、詩人の草野心平などは若い頃からの友人
であることも今回わかりました。
板画をという言葉を使った志功は板との対話を心がけていました。
版画の版という字は、板の片割れという意味だから板画の方が全部を意味する
からこの板画という言葉を使ったとのこと。
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