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蒙古塚
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2003/8/17 (日) 21:44:16
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久恒啓一
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亡父の3周忌を終えて、12日(火曜日)に中津からレンタカーで福岡へ。母と弟と私の家内の4人で、博多湾をのぞむ志賀島へ。遺骨の一部を自分が幼いころ泳いだ博多湾に流して欲しいとの父の遺言でした。
志賀島は金印の出た場所で有名。その金印(西暦57年の後漢書に出てくる)の発見された(西暦1784年・天明4年)場所の少し先に「蒙古塚」という場所を見つけました。文永11年(1274年10月)元寇の時に神風による敗戦で捕らえられた蒙古軍の半数が処刑された場所です。
小高い丘に登ると中華民国東三省保安総司令という肩書きの張作霖が供養塔を讃えた言葉が記されている大きな碑(日蓮が書いたもの?)が目に入りました。丘のふもとには蒙古の言葉らしき見慣れぬ文字を刻んだ墓もありました。
満州馬賊を夢見た父にふさわしい場所かもしれません。
この蒙古塚の向かいに小さな岬があり、万葉の歌碑がありました。
志賀のあまの 塩やく煙 風をいたみ 立ちはのぼらず 山にたなびく
この歌碑の意味を母から講義を受ける。(母は「万葉集の庶民の歌」という本をライフワークとして70歳の時に出版している)この場所は父と母の両方に縁があるということで、一番適していると感じました。
ここで小さな喉仏の一部を私と弟とでちり紙に包み海に投げ込みました。
ひと仕事を終えて、その先の満帆荘(まんぽそう)という玄界灘の波打ち際にある宿の和室で昼食。母は無事責任を果たしたことでほっとしていました。
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