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横松副宗先生の卒寿を祝う会
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2004/2/23 (月) 08:15:06
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久恒啓一
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日曜日は、郷里の中津で行われた「横松宗先生の卒寿を祝う会」に出席。
横松先生は90歳です。出席した人全員に「福沢諭吉ーその発想のパラドックス」
(梓書院)という新著を配布。現在の九州国際大学の学長をされた方で、
中津の文化活動の指導者です。
「大正デモクラシー、中国在住時代、戦後、そして平成。激動の時代を
一知識人として真摯に生きた横松先生。幅広い見識と旺盛な研究心で、
地方の中津から全国、海外へと提言を
発信し続ける先生の卒寿をお祝いし、これからのますますのご活躍を
祈念いたします」(案内文より)
横松先生の記念講演は「20世紀ーー大正・昭和・平成を生きて」で、1時間。
驚いたのは、日本の政治学の大家であった丸山真男先生を「丸山真男君」と君づけで
呼んでいたことです。90歳ということは歴史上の人物よりも年上であるということに
なるんですね。とてもいいお話でした。150人。
・「気がつけば 卒寿なりけり 春嵐」という自作の俳句を紹介して、
最近まで年を意識したことはなかった。
・家業の不振で中学前から労働をすることになり、、学びながら働き、
働きながら学んだことはよかった。
・上級学校にすすめてくれた恩師の恩はなにものにもかえがたいこと
・地元の鐘紡の女工の生活を見て、社会問題に目覚めた。これが原点。
・複眼思考。突っ走る人の方が妥協している。
・学問の自由・研究の自由が大切
・戦後の学生運動は、余裕を持ってやっていた印象
・中津へ土着して、中国などのみやげ話、勉強会などで話す機会を与えられた。
それをこなしてきたのが、健康のもとだったような気がする。
・本は13冊
・努力することが大切です。少し疲れる程度の努力
・歩くのがいい。歩きながら考える
・幸福や不幸は視野にはない。ありのままでいい。
・唯一の不幸は長男を交通事故で子供の時に亡くしたこと。
「盆ごとに 幼きゆきし 子に詫びぬ」
乾杯の音頭をお願いされてしまう。
・仙台では地元の同人誌「やまたい」で中津のことを想いだしていること
・ロンドンで25年前に横松先生と初めてお会いし、案内したこと
それ以来、謦咳に接していること
・先生が中津から外に出られなかったことは先生にとっては無念なことだと思うが、
中津にとっては奇跡のような僥倖であること
・「偉い人」とは、人に影響を与える人
広く、深い影響を与える人がえらい人。
横松先生は、広く、深く、そして長く影響を与えている人
・「大正から昭和へ」という名著があるが、続編である「昭和から平成へ」
を書いて欲しい。
・卒寿に乾杯!
新貝市長と初対面の挨拶。高校時代の植山先生、高橋先生らともご挨拶。
同級生の須賀さん、三信の影木社長、、、、、、。
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