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[5068] Re:会場にてコメントをつける 削除
2007/11/3 (土) 13:42:40 淺沼 政幸
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▼ 久恒啓一さん

ブログに掲載した写真よく撮れていました。ああして写真を入れると雰囲気がよく伝わります。書かれていた内容もまるで講演の原稿起こしをしたかのように正確に忠実に再現されていて、同じことを聞いていた私にとって、同じように再現するのは程遠ことだと感じました。(横野さんから翌日電話を頂き寺島さんの話が聞けなかったこと非常に残念がっていましたので、ブログを見ればOKですね!)これも図解思考の達人がなせる業と感服しました。今朝の日経新聞に梅棹忠夫先生が写真入で出ています。その中で「知的生産」に触れていました。また、河北新聞には、先日参加した慶応義塾創立150年記念講演会学問のすすめ21「文学のすすめ」講演の内容がこれまた講師の写真入で紹介されていました。講師は3人で慶応義塾大学教授・巽孝之先生、同教授で作家の荻野アンナさん、作家の川又千秋さんでした。巽先生はアメリカ文学専門で、私も英文科出身の端くれとして興味深く話を伺いました。その中で、福沢諭吉の「学問のすゝめ」を通読すると、学問は最終的には精神の働きをめざし、人間の独立を図ることが主眼であると理解できこれは非常にアメリカ的だということです。アメリカ建国の父祖ベンジャミン・フランりンは、アメリカで一番高額の百ドル札、福沢諭吉は日本の一万円札。二人とも大統領や首相になったわけでなく、共通しているのは国家を近代化した啓蒙思想の権化であることは着目に値することです。文学の力が今後も語り継がれるとすれば、軍事・経済力のハ−ドパワーではなく、ソフトパワーであり、かってキリスト教が単純なソフトパワーでなく軍事力と経済力を誇示し、キリスト教を大義名分とする場合もあり、広く民衆を説得してしまうソフトパワーが、ハードパワーに利用され得ることを指摘していました。次に荻野アンナさんはあらゆることが学問にと言う視点から、美形な落語家金原亭駒ん奈として絶妙な口上で話しをされました。その中で坂口安吾の「日本文化私観」にふれ「外国人は日本の伝統を知識として学ぶことはできるが、それが日本の本質かというとそうではない。日本人の生活が健康でありさえすれば、日本そのものが健康だ」と提唱しています。福沢の「学問のすゝめ」は当時七十万部という大ベストセラ−であり、「知的生産の技術」もまた大ベストセラ−です。ではまた、知研にて!


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