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[660] 図工が大事!?でしょコメントをつける 削除
2002/6/26 (水) 21:57:43 重松敏夫
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 いまはやりを分析すると、此方、図画工作の久恒啓一
(敬称略)。彼方、国語の斎藤孝、といった感がありますが、
どちらも同根、同じ流れだと理解しています。

 国語は、読み書きそろばんの身体能力に注目しているし、
図画工作は、逐次型の思考スタイルから空間型の思考方法、
すなわち『図考』を薦めているのだと思います。いずれも、
人間本来の、体を使った、身体とともに考える、ということに
復帰せよと言っているのではないでしょうか。
 
 デジタルからアナログへというと、あまりに平坦な解釈に
なるかもしれませんが、全体的に物事を捕捉理解するには、
ものとものとの位置関係に想いを致すことが欠かせません。

 あれかこれかを考える「因果律」だけでなく、あれもこれも
を探る「共時性」や「布置」に着目してみる時代性では。


[661] 身体知コメントをつける 削除
2002/6/27 (木) 08:30:40 久恒啓一
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▼ 重松敏夫さん

暗誦で言葉を身体に叩き込む斉藤孝さん
のやり方と、「手で考える」図解を
同じ流れというのは、当たっている
部分があります。
図を描く中で、頭で考えるのではなく、
手で考えるという感覚がわかってきます。
「図考」という言葉はいいですね。
ある書評でもその言葉を使っていました。
図解は関係の技術ですから、
いつも動いている対象をある瞬間に
シャッターを押す感覚にも近いですね。

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