1999.9
第39回 全国社内報コンクール総括審査員の講評
こういう時代だからこそ社内報の「存在意義」を再確認してほしい
社内報編集者感覚から社内広報担当者意識への脱皮を!
宮城大学事業構想学部教授 久恒啓一

 日本経済の厳しい状況の中で、社内報担当者の努力と苦悩が感じられる内容であった。日本の社内報は、ヨコのコミュニケーションという課題に対しては、ほぼすべての社内報があるレベルを越えているとの印象を持った。しかし社内報の命は、経営情報の伝達力にある。上から下へのタテのインフォメーションを必要十分に達成できるかが、経営にとっての社内報の本質的な価値を決定する。この意味で、甘さが感じられる社内報が多かったのは残念だった。経営の意思を真正面から伝えようという迫力ある社内報が少なかったのは、日本の社内報の将来にとって危機的な状況ともいえる。

 社会から指弾を浴びている産業や企業が、情報の意欲的な社内開示によって、経営危機を乗り切ろうとする姿勢も見えたが、一方で社内に向かっての発言を控えているケースも散見された。

 私は、「ポリシーが明確であるか」「企画力が優れているか」「ビジュアル・コミュニケーション力があるか」「インフォメーションとコミュニケーションのバランスがよいか」という四つの基準で審査に当たった。その中でも、経営情報の料理の仕方に最大の力点を置いたつもりである。このポイントを各企業の社内報担当者が意識し克服できなければ、早晩、経営にとっての社内報の存在意義を問われる時期がやってくるであろう。社内報担当者には、“社内報という印刷物を編集している”という感覚ではなく、“経営にとって重要な課題である「社内広報」を担当している”と考える意識が大切であろう。

月刊総務

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