2000.8

地域における大学の役割と人材育成の方向
〜産学官の学は、学生の学〜

旧来のイメージからの訣別
 「老朽化した建物、時代遅れの設備、清掃と手入れの行き届かないキャンパス、乏しい上に配分方法の不条理な研究費、まともな研究業績のない者が大勢を占める教授会、観念的思考に逃避し、現実を直視しない傾向、知的好奇心の欠如からアルバイトや遊びに熱中する学生、向学心のない学生と教育的情熱のない教員とが醸し出す教室のダルな雰囲気、能率ともサービスとも無縁な事務サービス、横行する不毛な学内政治、陰湿な人間関係…」
 このような旧来型の大学からの訣別が宮城大学の建学の理念であり、この3年間実現のために野田一夫学長を先頭に教員・職員・学生が協力して努力を重ねてきた。
 現在の日本には、着想やアイディアに優れた人、また反対に細かい具体的な計画を立てることができる人、こういう人材は決して少なくない。しかし着想を計画に落とし込む構想力を身につけたプロデューサーやプロジェクトデザイナーと呼ばれる人材となると政治・行政・産業などあらゆるセクターで乏しいの現状だ。構想力を持った人材の育成こそが、日本再浮上のための喫緊の課題であり、宮城大学設立の大きな目的はここにある。

学生はどのように育っているか
 「事業を起こせ」という学長・教員の声は学生の心に確実にこだまを起こしている。どのような人材が育っているか、その一端を紹介する。
 2002年に宮城県でも行なわれるワールドカップ用の県のホームページの運営を正式に受託するチーム、ホームページ作成技術と行動力を売りものに著名なホテルや大学教員からホームページの作成・運営を受託するチーム、地域起こしや空港活性化をテーマとして様々なイベントに関わるチーム、新入生対象にパソコン講座を開き、アフターサービス付きでパソコン購入のアドバイスを事業化するチーム、県の情報政策課と組んで県の事業である「宮城情報天才・異才塾」 で県内の小中学生向けのインターネット講座を運営受託し収益をあげるチーム、大学の施設を使って市民対象のパソコン講座やアートマネジメントの講座を開催し収益をあげるチーム、チャイナドレスの輸入販売の事業化に挑戦する留学生を含むチーム、地元FM局の開局を機にFM番組を自主制作して発信するチーム、商品の輸入から販売までも手がけアエルという大型ビルにショップをオープンしたチーム、県内の町村の観光開発や地域起こしに教員と一緒になって取り組むいくつかのチーム、すばらしいキャンパスを自らの力で維持しようと結成されトイレ掃除や清掃を受け持つキャンパス・レンジャーチーム、学内に潤いを与えるため花いっぱい運動を繰り広げキャンパス環境を向上させようとするガーデンキャンパス構想を推進するチーム、大学周辺の住宅地と住民を対象とした現代版御用聞きサービスを始めようと準備しているチーム、など様々な動きが自然発生的に出て来ている。
 また卒業と同時に新しいビジネスを旗揚げするベンチャーサークルのリーダーや、4年後の25歳になったら郷里での首長選に打って出ることを前提に自分を磨きながら布石を打っている第一期生がいるなど頼もしい学生も多い。
 そして大学への来訪者が驚くのは、キャンパスのハード面の素晴らしさ、美しさ以上に学内のいたるところで「こんにちは」「おはようございます」と学生から声をかけられることだという。理念であるホスピタリティとアメニティに賛同している学生が多いことの証左であろう。
 これらの動きは、かなりのケースが県や市町村といった行政や地域と組んだ仕事が多いことが特徴である。卒業生が出る2001年3月には、授業のみならずこうした事業に関わりながら地域の課題に精通した実践型の学生が世の中に出てくる。教員は自治体の様々な審議会や委員会等に積極的に関わりながら、学生を社会・地域に連れ出す役目を果たしている。

学生は地域経済活性化の資源
 開学後、意識的に学生を地域に連れ出すことを試みてきて感じることがある。
 一時「産学共同」ということが言われた。また最近では「産学官」という言葉もすっかり市民権を得ている。そしてこの考え方の延長線上に地域の活性化のために産業界・学界・官界が組んでプロジェクトを立ち上げるケースが多くなってきており、東北においても大小さまざまのプロジェクトが進行中である。
 ここでいう「学」とは誰のことを指しているのであろうか。いうまでもなく学界に身を置く研究者である大学の教員や大学自体を指しているのだが、今後は「学」を学生と考えてみたらどうだろうか。学生は近い将来において社会に出て産学官あるいはNPO等の市民団体を指す「民」になるのであるから、学生時代から地域の課題の解決に向けて参加することで、地域の事情や課題に精通した学生が多く世の中に出てくることになる。
 例えば「学都」を名乗る仙台には相当数の教員とともに膨大な数の学生が存在している。「学都仙台」は学問の都ではなく、学生の都であると解したい。彼らは全体としては地元にとどまる数が多いのであり、これこそ資源でなくて何であろう。
 産業界や官界には東北の発展のために、教員と共同して学生のエネルギーを起爆剤や推力として活用する知恵や工夫が求められていると思う。

東経連 NO.403

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