〜宮城県への貢献〜

2001.3.2
新世紀の仙台港(5) “市民の港”へ転換を
学生らが提案
 宮城大事業構想学部の顧客満足ゼミの学生たちが昨年7月、JR仙台駅や仙台空港など宮城県、仙台市の「玄関口」を観光客の視点で再点検した。
 出来上がったのが「『ようこそ仙台・宮城』、できていますか」と題した報告書だ。
 仙台港についてもいくつかの提案をしている。例えば「仙台港の名称を『仙台常長港』に変える」「使われなくなったフェリー内に郷土料理を提供するレストランやホテルをつくる」「松島港との間にクルーズ船や屋形船を運航する」などだ。
 仙台港は物流基地としての性格が強く、横浜港や神戸港など他の主要港と違い、一般市民から縁遠い存在になっている。学生たちも「観光客や市民に親しまれる港にするにはどうしたらいいか」という観点で、アイデアを出し合った。
隔離され整備
 指導に当たった久恒啓一教授は「仙台港はウォーターフロントという港の持ち味を生かしていないのではないか」と、問題点を提起する。
 仙台港は1971(昭和46)年、新産業都市の中核施設を目指し、工業・商業港として誕生した。臨港地区一帯は現在も、都市計画法の「工業専用地域」に定められており、レストランや遊園地など飲食施設や遊興施設は原則として建設できない。
 岸壁で目に付くのは、情緒に欠ける倉庫や立ち入り禁止のコンテナヤードばかり。仙台港を「観光スポット」「デートスポット」と見る市民は、ほとんどいないといっていい。
 「仙台港は重厚長大型の港湾を目指したこともあり、市民から隔離した形で整備が進められてきた。国際貿易港へと性格を変えていく中で、市民に親しまれるよう施設配備を見直すことがあってもよかった」と、仙台市空港港湾対策室の犬飼良次室長は話す。
上がる集客力
 そんな臨港地区にあって目を引くのが、キリンビール仙台工場内のビアレストラン「ビアポート」のにぎわいぶりだ。ビール製造工程を一般に公開する見学施設の1つとして工業専用地域の用途制限をクリアし、97年4月に開業した。
 年間の利用客は約8万5千人。仙台市内から車で30分とアクセスは決して良くないが、「市内から松島方面に向かう観光バスなどが結構立ち寄る」 (同工場広報担当)という。
 仙台港では、観光目的の大型クルーズ船も徐々に目に付くようになってきた。一昨年までは年間5、6隻だったが、昨年はこれまでで最も多い10隻が寄港した。県内最大のイベント会場「夢メッセみやぎ」も人気ぶりを示している。徐々にではあるが、臨港地区が集客力を発揮してきた。
 「今の仙台港には、船を眺めながらお茶を飲むところもない。暴走族ばかりが集まる悪いイメージを一掃するためにも、市民が立ち寄りやすい港づくりを考える時期にきているのかもしれない」。仙台商工会議所の津島秋夫専務理事はこう言って、意欲を見せる。
 ウォーターフロントの魅力を生かすためにも、用途区域の見直しを含めた大胆でざん新な青写真づくりが求められている。
河北新報