2001年5月1日
論壇 広い視野から問題提起 生かそう「野田一夫効果」

NPO法人SBG推進機構理事長 沼田芳夫(58歳・仙台市)

 「野田一夫ファンクラブ」の第三回例会がこのほど仙台市で開催された。画家の田村能里子さんご夫妻と野田一夫宮城大学名誉学長とのトークショーを中心に懇親会を挟んだあっという間の三時間だったが、「やっと解放されました」という氏のあいさつに本音が感じられた。

 平成5年、当時の本間俊太郎知事に壊れて宮城大の開学に関わったこと、技術者精神を生かした斬新なキャンパスレイアウト、外国からの来訪者にも誇れる建物など、ハード面の充実、全国的にも例を見ない「事業構想学部」の設置、学生達に呼び掛けての「トイレレスキュー隊」の実現、四年間で入試倍率を十倍あまりまで引き上げたことなど、駆け足で振り返られた氏の足跡は、独特の話術と説得力で私たちの心に響いた。
 宮城大学の学生が書き込みをしたインターネットの掲示板に「野田一夫学長は私たちの永遠の学長です」とあったそうだ。入学式の折、学生一人ひとりと熱い握手をした野田一夫学長に、卒業式の時、再びあの愛情のこもった握手をと願った学生が数多くいたとも聞いた。
 昨年五月に、「野田学長が、辞めるかもしれない」といううわさが私たちを襲った時、期せずして高まったのは「ファンクラブ」創設という破天荒な試みであった。発表会の時「これで長谷川一夫、舟木一夫に並んだね」と出席者を笑わせた野田学長。現在は名誉学長だが、国公立の「名誉学長」、まして学長個人レベルの「ファンクラブ」というのは全国にも珍しいだろう。

 「宮城県人に進取の気概なし」と喝破したのは、明治の元勲大久保利通だった(『宮城県の百年』我孫子麟著)が、個人的な感覚から言っても、東北の拠点というメリットにあぐらをかいての「待ちの姿勢」が特に目に付く。
 全国有数の歓楽街「国分町」も昔日の面影はなく、通りを走るタクシー運転手のぼやきも「景気、悪いねえ」のオンパレードである。この宮城県、仙台市を覆う閉塞感と将来への不安は、野田学長退任の後、ますます強まりそうな気配だ。
 学長という職責の傍ら、行政のスリム化や効率化、さらに宮城総合研究所を設立しての民間レベルの事業プロジェクト推進など、市の活躍の場は広範囲におよび、その的確な問題提起と国際的視野からのメッセージは、私たちに未来に対する大きな希望と元気を与えて余りある。
 私が主宰するベンチャー支援のNPO法人も、学長の支援のおかげで、昨年八月、全国版公開審査会「杜の甲子園」を無事成功させることが出来た。

 「野田一夫効果」という言葉がある。開学準備から八年間、縁もゆかりもない土地に舞い降りて、ここまで真剣に取り組んでくれた人間を私たちは寡聞にして知らない。
 最後に「ここには、東京にはない情がある」と語った野田学長。当面は仙台と東京の「二重生活」を送るらしい。民間人に戻った「野田一夫」のファンクラブは永遠に不滅である。

河北新報

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