2001.10.10

回想録 短歌で綴る団塊世代の30周年
 中津北高を出てから30年以上たった。弁護士を志した高校生はジグザグ人生を歩み、20周年余りのビジネスマン生活を経て、50代をむかえ現在は仙台の大学で教鞭をとっている。母は私の高校時代から短歌を趣味として詠んでいるが、長男である私を題材に折に触れて思いで深い短歌を残しくれている。
 この母の歌でこの30周年を簡潔に表現してもらおう。
高校生
朝の厨に貧しき人のため弁護士を志すと吾子はわれに告げに来
大学生
無期限ストを告げてくる子の電話の中博多の宵の騒音きこゆ
ビジネスマン
就職の決まりたる子は送りゆくわれの歩巾に合はせて歩む
札幌へ転勤せし子に送る手紙桜前線追ひこしてゆかむ
涙拭へと友のくれたるハンカチをロンドンへ行く子の機に向けて振る
半年前は知らざりしひとの姑となりビルの間を肩よせあるく
とりどりの雨傘通りてゆく銀座茶房に臨月の嫁と見ていつ
信濃の山を清く流るる梓川に因みて孫を梓と名付く
図書館と海の近きが取り柄ぞと九階の空間を購いし子は
出版せし子の書のあり処確かめぬ買い物帰りの辻の書店に
円高を嘆きゐる子と原油安を喜びゐる子を夜半に思いぬ
いま一度子の住む東京へ行かむとぞそれのみ言いて夫を励ます
出張の帰りに寄るとふ子に作らむ鱧のちり鍋きぬ貝のぬた
もはや子は仕事のことを考へゐむ後姿みせて帰りゆきたり
夕餉もとらず戦艦「大和」を組立つる児もその父も戦を知らず
大学教員
汝の人生は汝のもの言ひし夫が拒否反応す子の転職に
後半は大学にて若者育てむと未来のみ言う子を眩し見つ
鼻をこする癖は幼きときのまま講演する子はビデオの中に
木俣修も魯迅もかつて行きし路青葉通りの街の灯ともる
創立90周年記念誌 大分県立中津北高等学校

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