横松 宗著 『魯迅・民族の教師』 時宜をえた原点回帰 邪馬台 79号(1986年夏号)

 今度、横松宗氏の『魯迅・民族の教師』が河出書房新社から出版された。
 第二次大戦末期の上海で、著者と魯迅の運命的な「出会い」が行われたいきさつについては、本誌(邪馬台)に連載中の横松氏の「自分史」第一篇「一九四五年、前編―上海」に詳しい。戦後一貫して魯迅に傾倒し、自らの行動の原点を魯迅の思想に求めた著者が魯迅の思想形成の過程を独自の截り口で跡づけた魯迅長編評伝『魯迅の思想・民族の怨念』が上梓されたのが一九七二年(昭和四十七年)のことであったから、これは、十三年目の魯迅論集である。
 一九七〇年前後の年代は、いわゆる毛沢東路線の最後の時期にあたる。この時期日本の言論界における中国ブームは頂点に達した感があった。中国派と称する一群の学者と時流に乗り遅れまいとする評論家・知識人を名乗る人たちは、先を争って、毛沢東路線を支持し、中国礼讃の書は巷にあふれた。
 毛沢東を絶対視することは、孫文と三民主義を見直すことであり、魯迅こそは、この両者を結ぶ文化的。思想的掛け橋であるから、魯迅に関する書もまた数多く出版されたのである。
 このような事情のもとで、横松氏の『魯迅の思想・民族の怨念』は世にでたわけだがこの著作は、日本の魯迅学派ともいうべき人達およびその亜流とは魯迅に迫るアプローチのしかたにおいて、一種特異なものであった。そのためこの本は、類書の中で特色あるものとして全国図書館協議会の選定図書に指定され全国の図書館に配布されて好著の評をえた。また、中国においても評価を受け、紹興や厦門の魯迅記念館にも収納展示されていると聞く。
 その後の十数年の中国の変化は、まことにめまぐるしいものがあった。文革・毛沢東の死、四人組の逮捕を経て、中国の路線は、「四つの近代化」を掲げて激しく右旋回したのである。
 毛沢東信者は顔色を失い、中国でなければ夜も日も空けなかった中国学者・評論家・知識人は沈黙した。そうして出版界の中国ブームは去り、中国問題に関する論調は今や、中国の体制そのものを批判してはばからない右派の論調が主流となるにいたった。
 心あるものは、学者・評論家の無定見と新聞、出版業界のあいも変わらぬ無責任に失望し、あるいは、この現象の背後に権力による巧妙な世論操作の影を見るものもあるが、このことは「空気」に弱い日本人の気質によるところがあるとしても、本質においては、中国近代化の原点を歴史的に正確に把握しえなかったことに起因するというべきであろう。
 このような状況のもとで、横松氏の今回の『魯迅・民族の教師』出版の意味は重い。著者は「あとがき」の中で、「最近は中国においても、魯迅研究のブームは沈静していると感じられる。わが国ではとくに魯迅に対する関心がうすくなりつつあるようである。ただ、近代ないし近代化というものが、もう一度原点にさかのぼって、人間性の問題、文化の問題あるいは教育の問題がひろく深く歴史的に追求することがますます必要になっていると思う」と述べているけれども、著者の魯迅への傾倒は本来、中国六千年の歴史に鋭い分析の目を向けた魯迅の人生観・文化観・教育観に共感するものであって、皮相な、情勢論的なものでなかっただけに、新著の出版はまことに時宜にかなったものとなった。
 『魯迅・民族の教師』の具体的内容についてのたちいった解説は個々では避けたいと思う。それは、この著作の内容の高さからいって、安易な解説はかえって読者の正しい理解のさまたげになることを惧れるからである。ただ、「新一万円」札発行以来、とくに中津市民一般にとって、共通の課題になっている福沢諭吉の権威に関わる部分について本書に基づいた試験の一端を述べておきたい。
 邪馬台は、本年春号に、野田秋雄氏の『福沢諭吉―何を顕彰するか―』を掲載し、識者にアピールするところが多かったが、横松氏は、近年の著作の中で、「魯迅文学の土着性と近代的人間観―福沢諭吉と対比して―」の一節を設けて、独自の福沢論を展開している。すなわち、両者の出生環境と固着性の共通性に着目した上で、二人が西欧の侵略勢力に対抗して民族の真の独立を達成するために、ともに両国の封建制からの脱却を先決とした思想は、アジア全体の封建制に対する共通の課題であったと規定する。諭吉が晩年「脱亜論」を唱えて魯迅と対立する道に進んだかに見えるが、これは、「民族独立のためには。侵略者である毛唐の野獣性に学び、それに屈服せずにすむような武力と実力をもたなくてはならない」という魯迅の主張と共通する諭吉本来の思想の原点にたっての妥協であり、時局への現実的対応であったと考える。だから諭吉を満州事変・中日事変の時代まで生かしたとすれば、「脱亜」を「脱亜」(脱却)して、日本にこの上なく愛着をもち、日本人に親しみを持っていた魯迅と再び遭遇したに違いないと説く。
 横松氏と野田氏の「福沢論」には明らかに距離がある。いずれを取るかは、勿論、読者の自由であるが。私がいいたいのは、政治的・経済的に利用するために福沢の虚像を形成しがちな風潮を排するために、福沢の実像に迫ることの主の論議と学習が市民レベルで今後とくに必要だということである。この意味で、横松・野田両氏の「福沢論」は、有意義であり、果敢な提案でもある。
 横松氏の著作を読んでいつも感ずることは、今ようにいえば、ビートがきいているというのであろうか、なにか打ってくるものがあるということである。このことは、この人が真理と真実に対して変わらぬ若い情熱と愛情を持ち続けているためであろう。
「自分史」の中で、著者は昭和恐慌によって家が没落し、進みたい進路に進めず、官費の高師を選ばざるをえなかったと回顧しているが、かりに、希望どおりに別の道に進んでいたとしても、魯迅や福沢のように、この人は結局「教師」であったのではないだろうか。魯迅の妻、許広平は魯迅を評して「青年の磁石」と言った。「青年の磁石」とは、青年を引きつけずにはおかない教師的性格のことである。此の『魯迅・民族の教師』を読んで、あらためてこの感を深くした。
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