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第1回「本物の日本人」に出会うために
後藤新平 遠眼鏡 一人で持てば 罪つくり

後藤新平  遠眼鏡 一人で持てば 罪つくり
 「偉人のまち」として知られる岩手県水沢市に、「後藤新平記念館」を訪ねた。
 後藤新平(1857〜1929年)は戊辰戦争で敗れた伊達藩の支藩の出身である。後藤が世に出た最大の要因は、安場保和という、当時、胆沢兼(後に岩手県に編入)の大惨事(副知事)だった人物による。十二歳の悪童・新平を見て「この子は将来、参議(大臣)にもなりうる人材だ。新平の性格をたわめることなく伸ばすように指導してもらいたい」と部下であった阿川光裕に命じて面倒を見させている。

(中略)

 最近、突然変異のように現れた企画力・構想力に富んだ人物、理想家かつ実際家であった後藤新平の再評価の動きがある。
 閉塞感の強い現在の日本のよどんだ空気の中で、後藤新平という傑物に関心が寄せられる確かな理由があると痛感させられる水沢への旅であった。

2005.10
ほんとうの時代
キャリア開発史 久恒啓一の紹介