晩翠の自宅は太平洋戦争の空襲で三万冊の蔵書とともに焼けてしまった。それを見かねた晩翠の弟子たちがお金を集めてつくってくれたという曰くつきの家である。30歳から母校仙台第二高等学校の教授であり、優れた教育者であった晩翠の影響力を象徴する出来事といってよいだろう。
(中略)
土井晩翠は1871年に生まれ、1952年に80歳でその生涯を閉じた。
仙台の文化振興課や近代文学館は、晩翠草堂を保管するためにつくったといわれるくらい、仙台は文学に縁のある街である。
東北学院の教師として赴任した島崎藤村は失意の中で仙台に住み、本を多読し、その自然にすっかり癒されて生まれ変わった。
晩藤時代といわれた2人の自由詩の巨人と仙台の縁は深い。
(後略)
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