どのような社会であれ、共通の目標となり得るのは「豊かな暮らし」ではないだろうか。個人にとってもそれを目標にすえるのに異論は出ないだろう。しかし問題は、豊かさとは何かということである。よくいわれるのは、物質的豊かさと精神的豊かさという比較で、モノは豊かになったがココロは貧しくなったという議論だ。これもわかるのだが、何か腑に落ちない感じがある。余暇こそが豊かさの中身であるという主張にも違和感を覚える。
(中略)
「カネがあるときゃヒマがない、ヒマがあるときゃカネがない」という言葉があるように、経済的自由を拡大するためには、時間的自由や精神的自由を犠牲にしなければならないこともある。それは個人の選択の問題である。
ファシリテーションを意識して、共に仕事をし、支援すべき仲間が、こういった自由の拡大を求めていることを忘れないようにしたい。
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