国民作家と呼ばれるほど読者の多かった吉川英治(1892-1962年)の記念館を青梅に訪ねた。この記念館のある場所は当時は西多摩郡吉野村といった。多摩という名称は随分と広い地域を指しているのだと改めて実感した。野村という庄屋の家を自宅として使用した土地と家がそのまま記念館となっている。ここを吉川は草思堂と名付けた。吉川英治は疎開先のこの梅の里を愛しており、2千坪にのぼる度地と家を気に入っていた。母屋は外からしか覗けないが、「吾以外皆吾師」という吉川英治の座右の銘を見ることができる。
(後略)