北里 鴎外はどう乗り切った?
「遅咲き偉人伝」著者で多摩大教授の久恒啓一氏
北里柴三郎と森鴎外の2人の生き方は、組織人として、年下や同級生が上司となった際のヒントになるでしょう。 後に「日本の細菌学の父」と呼ばれる北里は、東大医学部出身。文部省推薦の留学生枠には満たない8番目という成績で卒業したため、内務省衛生局へ入局した。 そして、4歳下の後藤新平の下に付くように命じられる。後藤は地方の医学校出身。要するに「自分よりデキの悪い年下の上司」に従えと言う人事でした。
(後略)