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北里 鴎外はどう乗り切った?

北里 鴎外はどう乗り切った?

北里 鴎外はどう乗り切った?

「遅咲き偉人伝」著者で多摩大教授の久恒啓一氏

 北里柴三郎と森鴎外の2人の生き方は、組織人として、年下や同級生が上司となった際のヒントになるでしょう。
 後に「日本の細菌学の父」と呼ばれる北里は、東大医学部出身。文部省推薦の留学生枠には満たない8番目という成績で卒業したため、内務省衛生局へ入局した。
 そして、4歳下の後藤新平の下に付くように命じられる。後藤は地方の医学校出身。要するに「自分よりデキの悪い年下の上司」に従えと言う人事でした。

(後略)

2011.6.10
日刊ゲンダイ
キャリア開発史 久恒啓一の紹介