平成十年度『図解表現と私』

看護学科 1年
  この授業を受ける前までは、図解するという事には全く関心がなく、図解することにより文章、社会の仕組みなどがとっても分りやすくなることに正直いって驚きました。
  また自分もそれができるようになれば、理解できる分野や知識が増えると思ったので、自分なりに参加してみたつもりです。最近気づいたことは前よりも新聞や雑誌によく興味を示すようになったことです。また、選挙にも自分なりに興味を持てた気がしました。これからあらゆる面で"図"に出会う回数が増えると思いますが生かしていければ良いと考えています。

デザイン情報学科 1年
  初め「図解表現論」とはどんな事をするのかな?と思っていました。けれど最初の講義を受けて"この講義はすばらしい"と感じました。そして、図解で文章などを表現 することの難しさも感じました。今まで図解というものをまったくといって良いほど書いたことがなかったので初めのうちはとても戸惑いました。どんな感じに書けば自分意外の人に理解してもらえるのか、そう考えているととても楽しくなってきて「やってやる!」という気になって毎週休まずに講義を受けてきました。
  三回目の講義の時に前回描いた自分の図解が取り上げられて恥ずかしかったけどすごくうれしかった。けど周りの人と比較してみるとまだまだ自分は劣っているなとつくづく感じた。
  けど何度もやっているうちに自分なりに納得のいくものが作れるようになってきてこの講義を受けてとてもよかったと思いました。

看護学科 1年
  私は今まで図解を意識してはいませんでした、でもこの授業を受けていくに連れて図解の深さを感じてきました。文章と図、口頭での説明と図。この二つの相互関係から、図は生まれ生きていくのだと思った。
これから、私の人生に図解が根を張りいろいろな場面で利用していきたい。

事業計画学科 1年
  初めのころ、図解?なんだろうと思った。全くわからなかったです。でも初めの授業を受けた時、何かとても興味深く思いました。情報表現論という名前も面白そうだったのでこの講義は取ろうと思いました。
  図解は普段よく目にするものでしたが、今までそれほど注目したことはありませんでした。でも、新聞などを見ていると、意外に図解が多いことに気づきました。今考えてみると新聞を見る時、無意識のうちに文章を読んでいたというよりも図解を見ていたのかもしれません。記事を思い出すと図解の形で浮かんでくるからです。
  今でも図解はなんなのか分かりません。自分で描いていても上達しているか分りません。図解をすればするほど奥が深いなぁと感じます。でもレポートなどを書く時に本当に役立つものだと思うので、これからも図解を頭の中で意識しつづけたいと思います。もちろん日々の生活においてもですが。
  一番この授業で参考になったのは今回の参院選ではないかと思います。新聞を読んでいての政治、選挙などのページは飛ばして読んでいました。経済面もです。いったい何を読んでいたんだろうかとも思いますが、これからはそのような話題にも興味深く読んでいけそうな気がします。

デザイン情報学科 1年
  最初のうちは文章を読むことすらおっくうで、文章を読んでも、どれを、どのようにどこに図で表せばよいのか全くわからなくて上手くかけませんでしたが、一度も授業を休まないで頑張りつづけた回あって最後の2回の授業で私の図が選ばれるほどに成長しました。やっと波に乗り始めたころに授業が終わってしまってとても残念です。一番印象に残っているのは参院選の図解です。図解をしたおかげで興味なかった二院クラブに対していろんな考えを持つようになり、図解では分らなかった党首の顔と名前まで理解できました。
  いろんな意味でよい勉強になりました。将来きっと役立てます。久恒先生どうもありがとうございました。
  政党別の図で選ばれた2院クラブの図は私ので名前を書くのを忘れました。すみません。

デザイン情報学科 1年
  「情報表現論」という名前に引かれて気軽に受講することにしましたが、図の難しさを思い知らされました。よくアンケートなどで面白い、という感想が乗せられてありますが、 私も図をどうやろうかと考えている時はわくわくします。しかし、いつも思ったようには描けませんでした。図は思った以上に難しい。まず題材を理解し、それから理解したものを自分なりに組みたて、それをじぶんや他人に分りやすく図に表す。---一度で良いから思いどうりの図を描いてみたいものです。図は理解を単純化し、非常にわかりやすいものだし自分なりに何通りにも解釈できる。つまりアッサリ知りたい人にもじっくり考えたい人にも有効である。しかし「すべてを図にすれば勉強は楽になる」という意見には反対です。特に文学については納得できません。確かにあらすじや人物の心の動きは図にはできますが、その文章を味わうことができません。文章を味わうことが文学にとって一番大切だと思っている私は、だから図は完璧でないと思います。図には図の良いところ、文章には文章の良いところがあり、そしてそれぞれの欠点があります。両方を一緒に使うことがより理解を深めることになるのだと思います。この授業を受けるようになってから確かに文章が読みやすくなりましたが図を発達させるのも文章だと思います。

デザイン情報学科 1年
  私はこの授業を受けて図の重要さをあらためて認識した気がします。今までは、図に直面した時、何となくその図に目がいっていましたがどうしてそうしていたのかはたいして気にしていませんでした。しかし、これが図による効果なのだと分りました。今思うと、確かに文だけが書いてあるものよりも図で表しているほうに目がいっていたと思います。この授業を受けていって図に表す難しさを思い知らされました。しかもなかなか上手く描くことができませんでした。しかし段々と図というものがどのようなものか分ってきました。「図解表現」という手段があるということを知らされた事がこの講義を受けて一番良かったことだと思いました。

デザイン情報学科 1年
  私は、絵がかけない、下手というより、下手すぎて絵がかけないに等しいのだ、私はこの授業の初めのほうで他人の図を見た時、その図には絵が描いてあった。周りの人たちはみな絵で表現していた。その時私は「図解=絵」なのだろうかと思った。 私は絵が描けない。という事は、図解表現ができないということなのだろうかと思った。しかし、絵が描いてあるからといってわかりやすい図解であるとは思わなかった。見栄えはするが正直、これなら箇条書きのほうがわかりやすいと思った。そこで私は、絵が描けないのならば絵を使わずに図を描けば良い。絵が描けなくてもわかりやすい図を作ることは十分可能だと考え絵を使わない図を作ることにした。
  この図解表現を通して、私は見る人の立場に立って自分の伝えたいことを、明確に、分りやすくすることの大切さを学んだ。

デザイン情報学科 1年
  この授業を受けることによって新境地が開けたような気がする、図と文章の密接な関係が理解できたと思う。 ただもうちょっと落ち着いて描けるよう時間が欲しかった。図を理解し、自分で図を描くことによって理解の深さや幅がぜんぜん違うことを知りました。 文章が進化していくのと同時に図がどのように進化していくのかが楽しみになりました。

看護学科 1年
  昨日の参院選のTVを見ていて一言「図が見にくい!!」私のほうがもっと上手く描けると思ったのは言うまでもない。それもこれもこの図解の技術を学んだおかげであろうと思う。最初は自分の事を描くのがとても恥ずかしく、なかなか上手く表現できませんでした。だんだん文章化やプレゼンの時間もできて、ますますレベルUPしていったと思う。というより図解がだんだん好きになっていくのが分る。新聞で、街で、チラシで、TVで図が目につくようになってくるのもこの時期あたりからだった。今まで何も考えずに図を目にしてきたけど、明らかに今は違うといえる。特に図解してあるのを見ると難癖をつけるようになってきている。私はこの授業を4年通してずっと学びたいと思っている。この授業がいつか忘れ去られていくのが、なんか恐ろしくさえ感じている。毎週のようにアンケートに自分のコメントが載っているのもとてもうれしかったし、みんなの意見を知る事ができたのできたのもとてもよかった。自己評価としては出席率はもちろんAだと思うが、もし図解を評価されたら結構困るかもしれない。図解は見やすく、わかりやすいが、いつでもなんでも図解にできるわけではない、それは見えない部分もあるからだと思う。曖昧にするのはもちろん良くない事だが、曖昧にせざるをえないところもあるのも確かである。そういう面もはらむ中、それでも図解はこれからもっともっと増えて欲しいと思う。

事業計画学科 1年
  最初はどうやって図を描いていいかわからず、授業時間内に描き終わらせるのも大変だった。 図の描きからも授業を受けるたびに段々とわかってきたけど、なかなか思うようには上達しなかった。今までで一番難しいと思ったテーマは「インドネシア危機」と「参院選・各党の主張と公約」で図読をするのにとても苦労した。逆に一番やりやすかったというか面白かったテーマは「未来観光」だった。自分が興味を持っている分野だったので結構描きやすかった。
  毎回プリントで他の人が書いた図を見ると、同じテーマでも全く違った図で表現されていて面白かったし、自分の図と比べたりする事で、自分の図の悪いところを直せたりしたので、とても勉強になった。
 今回で授業が終わってしまうのは残念な気がするが、この授業は毎回休まずに出席できたので良かった。

デザイン情報学科 2年
この講義を通して、図解を簡単に分りやすくする事の重要さを知った。長々と文章を書くよりも、わかりやすい図解表現が1つあるだけで、そのレポートの内容の伝わり具合が、全然違うものだと感じた。これから先のレポートの書き方というものを、もう少し考えていこうと思った。とてもためになる講義だった。

事業計画学科 2年
  この授業を通して、図解表現を更に深いところまで理解した気がする。1年後期の知的生産の技術での図解内容よりも、さらに難しいものが多かったが、自分の中で考えを振り絞って毎回書いていた。政治(参議院選挙の主張と公約)の図解は、難しすぎて描けなかった。図解表現をする事によって、私は物事を違う方向から見る事ができたと思う、普段見慣れたものでも図解で見方がかなり変わるという事も知った。
  世の中には様々な図解がある。これから自分で図解を意識してみようと思う。

事業計画学科 2年
  一年生の時に知的生産の技術の講義を取っていたので、図解に対しての自分の中での抵抗感というものはあまりありませんでしたが、やはり図解は難しかったです。
  文章を自分でしっかりと理解した上で、図解をしなければならないのは大変でした。他の人の図解に比べて自分の図解はすごく下手だなぁ、といつも感じていました。自分には文章を上手く理解し、そしてポイントとなる言葉を上手く拾い上げる力がまだまだだったのではないかと思います。この授業で学んだ事をこれからも生かしていきたいです。

事業計画学科 1年
  自分では図解が上手くなったとは決して思えない。これは、先生の授業が悪かったという意味ではなく、ぼくの欠席率も高さにある。二週出席し二週欠席し…と、こんな調子では上手くなるはずもないのだが。でもこの授業を受けてぼくが変わったと思える事がある。それは、新聞の読み方だ。今までは興味のあるタイトルを見て記事を読んでいたが、最近はわかり易い図解があると、その記事も読んでしまう。これは良い癖だなと思える。それからもう一つ、見やすくてわかり易い図が頭に残るようになった事だ。これは脳が良い図を吸収している証拠だとぼくは思う。こんなぼくの評価はCでしょう。…たぶん。ぎりぎり7回は出席しているはず、これからも図解表現に精進します。

事業計画学科 2年
  図を見て自分だけじゃなく他人に見せて理解されるようになった。これは進歩だ!

看護学科 1年
  図解というものはこの授業に出るまで注目することはありませんでした。自分で書くようになってからというもの、本を見ててもテレビを見てても図が出てくると「これは分かりやすいか」「これで不足しているところはないか」「自分だったらどう書くか」など考えるようになりました。
  他の授業でれぽーと課題が出たのですが、以前の私だったら6枚以上など書けなかったでしょう、しかし本を読み、それを1枚にまとめようとしたところ、以前には見られなかった矢印や円が使えるようになっていて、要点をじょうずにまとめることができました。この授業の成果なのだとしり、とてもうれしかったです。それ1枚で6枚をあっというまに仕上げられました。本を読んでいる段階でおそらく頭の中で図(らしきもの)にしていったから紙に起こすことができたのだと思いました。先生どうもありがとう。せっかく身に付きかけているのだから、これからも図に注目する生活を送っていこうと思います。

事業計画学科 1年
  四月の初めのころの自分をふりかえってみました。当時「図解表現=イラスト」であると考えていたような気がします 。
何回かの講義を重ねて行くうちに、ぼんやりとではありますが「図解」というものが分ってきました。最後の参院選の図解は、自分なりに全身全霊を込めて作成しました。とても満足しています。 出席に比例して図解の技術が上達したとは思えませんが、図に対する見方・考え方は確かに変わったと思います。この講義がなければ一生図について考える事などなかったでしょう。文章だけの世界で生きていく人生になっていたのかもしれません。

事業計画学科 1年
  「図解を描くという事は、簡単な事ではないか」というのがこの講義を受ける前の私の気持ちであった。しかし、私はかなり甘かった。図を描くには何度も案を練り直す事が必要であるし、人へ伝える技術が必要である。今まで読み手だった私には、そんな辛さが分かるわけもなかった。4月に何の技術もなかった私がわずかな時間で図に対する気持ちが変わった事に自分でも驚いている。図の便利さになんでもっと早く気がつかなかったのかと思うと悔しい。これからは、もっともっと図に対して関心を持って、生活に利用していきたい。この講義は、休むことがもったいないと思える授業であった。図の表現が学べて、プラス政治・経済・宮城大学の理念など深く学ぶ事ができた。まさに一石二鳥である!本当に有意義な時間であったと思う。

事業計画学科 1年
  図解表現を学ぶという事は、それに付加してプレゼンテーションを学ぶという事だ。 プレゼンテーションを学ぶという事は自己表現を学ぶという事だ。 自己表現を学ぶという事は、その先には自己実現を果たすという事になる。 即ち、図解表現は自己実現する上で最良のアイテム足りうるのである。 私は人生において今この時期にこの講義をもてた事に対して幸せを覚えている。

看護学科 1年
  私は図解が大の苦手だったから、この講義は不安でした。最初のころは結構簡単にできて楽しかったけど、いつも同じような図しか思い浮かばなくて大変だった。やっぱり、図にするのは難しい。文章のほうがやりやすいといつも思ってた。 あと、プレゼンもとても難しかった。図も上手く表現できないから人に説明するのはもっと難しかった。
  いつも周りの人がわかりやすい図にしててすごいと思ってた。でも、この講義にでて、図解のわかりやすさが今までよりも理解できたから良かった。

事業計画学科 2年
  去年から先生の授業を受けているが、まだ他人にわからせるような図解ができない。自分しか分からない図ばかり描いてしまい、結局プレゼンも上手くいかない事が多い。
  しかしながら、そんな私にも身についたものがある。少なくとも自分には分かる図解が描けるようになった事。そしてその図解をもとにして文章を書く事ができるようになった事。多少論理的なコトバが自分の口から出るようになった事。続ければ身につくものだと感心している。以前のアンケートに描いたように、日常的に図解で考えるようになった。簡単ながらも図読をしたり、メモを図解的に取るようになれた。一番の得たものは「図解は使える」と思えた事だろう。

看護学科 1年
  「情報表現論」という言葉だけを聞いても、内容が良くわからないまま選択してしまった講義だったが、今思えば選択して良かったと思う。初めはいきなり「自分について図にしなさい」といわれてもどこからどのように描けば良いのかさっぱりわからず、かなり悪戦苦闘した。しかし翌週の講義で何人かの人たちの図解が紹介されたのを見て、自分の悪い部分や、どうすれば良くなるのかを知る事が出来、それから図解を描く時の参考になった。13回の授業のうち1回休んだので私が出席したのは12回だが、最初に書いた図をもう1回描けばもっと良い図にする事ができると思うくらい、自分なりに進歩したと思う。これは他人から見れば「どこが違う?」と思われるかもしれないが、時間的にも早くなったし、見やすい図が描けるようになった正直に言って、最初はこの講義に興味が持てずにいたのだが、授業を重ねるに連れて面白味が出てきた。今では図解のよさや描くことの楽しさが分かった。

事業計画学科 2年
 この講義を受ける前は、正直な話図解はあまり必要ないと思っていた。文章さえかければそれなりに理解できるし、納得できるものと思っていた。けれど、一回一回と講義を受けるに連れて図の重要さというか文章だけでは理解しにくいところもあるというのがわかってきた。実際に作業などしてみても、図解表現を取りいれたほうが、自分にとってもそうではあるが見るほうにしても、見やすくそして理解力も高い。それに、なかなか忘れにくいと思う。初めのころの気持ちと今を比べてみると、今では文章と図解の両方を使いこなす事がベストだと思っている。

デザイン情報学科 1年
  今まで全員に渡されるプリントに採用されていた図は、ある時はレベルが高い事を実感させ、またある時はその逆であった。その基準はおそらく自分でどのくらい、作成したずに自信を持っていたかの問題ではないか。一度ずらりと並べて他人からの(ここでは2,3人といった小規模のものではない)評価を仰いでみたかったのだが。
  大量に発行されるもの(新聞など)に、今回の選挙の各党の政策のように図解があまり用いられないのは、図解は場所を多く取るからであろう大量に発行されるものでは1ぺ−ジ増えるだけでコストが跳ね上がる。図解の唯一の弱点はここではないだろうか。だが逆に言えばこれだけともいえる。深めていけば文章の2倍のスペ−スでそれ以上の図解を描けるのかもしれないのだから。
  図解表現については、まず私が今までとってきた教科はすべて「自分の為」のものであった、しかし今回はそうは思わない。「自分の為」でも「他人の為」でもある教科はこれが初めてだ。また、その「他人の為」となったものはいつか自分に帰ってくるはずである。だからこれほど「自分の為」の教科を取った事はない。

事業計画学科 2年
  私は、図解表現に取り組んでみて、最初のころ全然想像もできなく図を出せませんでした。しかし、みんなの図を見ていると、こんな書き方が会ったのかと驚く。それを何回か経験するたびに自分の中で図が何となく浮かぶようになった。私にとって図解表現は想像力を増してくれたのと同時に新聞への興味を引かせてくれた。

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