平成十一年度『図解表現と私』

 難しい文章は無かったので、簡略化する意味が自分的には低かった。 意味の分かるものを図にしようとは、なかなか思わない。ま、受講者が多いので、これは私のエゴですけれども。

 図解を学ぶにつれて、情報を伝えるには、図と文章をあわせて使うと良いのだなぁと本当に思うようになりました。期間としては短くて、技術としてみについたのか、まだ不安なので自主勉強で伸ばしていきたいと思っています。これからの社会に広く図解が取り入れられていけば良いと思います。人物の図解は哲学の分野に入ることになるので、どんどん図解が広まれば良いと考えます。

 情報表現論の講義を13回受けて、一番良かったと思う点は、図解することによるメリットを理解することが出来たことだと思う。図があることによって情報が一目で分かるし、関連性も一瞬で把握することが出来るので、これからのメディアに図がもっともっと増えていくといいと思う。それに、人に理解してもらうための図を自分で作るという経験を通して、文章を読むときに、それを受け入れるだけじゃなくて、その情報に自分の考えを加えることが大切だと気付くことが出来てこの講義は自分にとってプラスになったと思う。

 最初のころは、文字が多い図であった。そして、○や△や矢印も種類に乏しく、普通の図だった。しかし、半ばになると、少し文字も減り、矢印を工夫したりして、自分で納得できるようになってきた。だが、後半また描けなくなってきて自信が無くなってきた。新しく、新しくと考えすぎたからだろうか。

 この授業は、文章中心で全ての分野をこなしてきた自分にとって、とても新鮮だった。文を書いているだけでは、相手にも自分にも理解するのに苦しませてしまうことがわかった。図があるだけで、隣に描いてある文章の意味がほとんど完全に理解できるようになるということを、この授業を通して実感した。
  文章力の足りない自分にとって、図解表現というのは、欠かすことの出来ないSkillになると思う。これからも図解表現を多用し、物事を相手に伝える手段の幅をきかせていきたい。
  最後に、この授業を通して、自分の図は果たして相手に理解されるような図になったかは不安だが、文章を図にするという作業を抵抗なくで切るようになっただけでも、これからの表現技術の力になると思う。

 この講義ではじめて図解するということを専門にやった。まず図解をやって第一に思うことは、図を用いることで相手に深く理解させることが文を用いるよりも容易だということ。今後相手に説明するときは図解を用いたいと思う。
 そして、図解表現を用いると自分のためにもなることが分かった。文よりもはるかに理解が深まったというように…。
 また、宮城大に入学して、図解表現を勉強できて、本当に良かったと思う。

 図解の必要性はすごい解る。しかし、図解をうまくできるかといえば、そうはいかない。
 批判をする難しさを図解で利しました。しかし、批判をすることは大切であり、図解の練習と共に批判する練習、また、どのようにすればいいのか、自分の考えを描く(書く)練習もしたいと思います。
  4年間で人にはっきりと解ってもらえる図解を描けるようにしたいと思います。

 この情報表現論を受講して、情報を伝えるにあたり、図解表現がいかに有効かが分かった。テーマによって自分に合ったもの、合わないものがあったが、もっと練習を積み、全てを理解でき、理解させられるようになりたい。昨年と今年の二回受講したが、休む月も多かったのが残念だった。しかし、この講義ほど社会に出て役に立つ授業はないと思う。宮城大ならではの講義だと思った。これからも図解表現の勉強をしていこうと思った。

 最初、私はこの授業をすごいと思いました。でも、良く考えると文章で解らないところを図解するというのは日常茶飯事だし、その図を考えるのに、もの図語力を使うのを思うと、授業でやるよりは、必要に迫られて作るほうがより身につくのではと思いました。

 この13回の情報表現論は私にとって得るものの多い講義だったと思います。毎回、回を重ねるごとに知らない内に身についていることが多く、たくさんの発見、感動がありました。図解表現を学ぶことによって、長文を読むのが苦でなくなり、要点を絞って理解することが出来るようになったと思います。これからも、図解を意識して使うようにして、自分の生活に役立てていきたいと思っています。大学に入学してすぐに、図解の便利さを知り、体得できたことは、私にとってとても良いことでした。この講義を履修して良かったと思います。

 文章で理解するということは、おおざっぱでいい加減な理解になりやすくなっていたと深く感じた。文章を図解にするという技術で要点のみを文章から読み取り、再構築して真の意味を理解するということが出来た。
  次は理解したことを基に、第三者に対して伝達するということを学びたいと思う。

 大学に対して抱いていた私のイメージというと「今日もレポート、明日もレポート。書くものといったら文字だらけ。」であった。ところが、この講義を受けて以来、そのイメージは変わりつつある。「人間は文字だけを見て、本当に理解することは難しい」ということを改めて実感し、図解表現について学べたことがどれだけ役に立つものであるかということが分かってきた。他の大学では(特に歴史のある大学では)いまだに文章中心の流れにあるかもしれないが、この講義の有効性は、もっと広く知らせるべきだと思う。そうすることで、一面的な理解だけでなく、多面的な理解の出来る人が増え、現代、問題となっている「大学生の学力低下」に一石を投じることが出来るかもしれない。
  いずれにしろ、この講義を受けて、私にとってプラスになったことはあっても、マイナスになったことはないわけで、これからどんな風に使っていくか考えていきたいと思う。

 この授業を通して、私は始めて、自分の考えや文章を図解するということを学びました。 今までは、はっきり言って「文章ひとすじ」といっても過言ではないほど、文字に頼って勉強してきていました。文章を書くと、頭に入るので、今までダラダラ、長長と書いていましたが、図で表してみると、少ない文章で、いつもの倍以上頭に焼き付くことが分かりました。これはとても「画期的」な方法だと思いました。
 初回のころは「図解」ではなく、「お絵描き」に走ってしまっていましたが、数を重ねるたびに、徐々にですが、図解らしくなっていくのが、目に見えてわかってきました。
  正直、最初は「こんな授業に出て、何のメリットが自分にあるんだろう?」と思っていましたが、今考えてみると、とってて良かったと思えます。
  ただ、図解は頭を使うだけあって、文章より描くのに時間がかかってしまう点がデメリットだと思います。急いでいても図解できるようになれれば一番ベストだと思います。

 私が就職関係のことで先生に御相談し、図解に出会い、半年弱ほど経ちました。まだ、足を一歩出した程度ですが、図解の技術よりも、物事の組み立て方(自分で砕いて再構築する)や、なにより先生との出会いが大きかったと思います。  
  図解はできたようで実際は全くできていないという段階で、今後は絶対量を増やして技術、表現力の底上げ、図解を重ねることによって知識、テクニックの引き出しを増やすことを考えながら取り組んでいこうと思います。
 今後も図解、顧客満足両ゼミ、知的生産の技術、プレゼンテーションの技術の授業をよろしくお願いいたします。

 これまでの授業を振り返ってみると、学んだ事や、考え方、感じ方が変わったことがいくつもある。こういう講義は始めてだったので最初はとても戸惑ったが、今では、他の講義のノートを取るときにも、気がつくとこの講義で得た図解の技術を使っていたりする。
  今までは先生がいっていることをだらだらと文章のままメモっていて、結局追いつかずに後で見返しても訳が分からないノートだったが、今は要点を得た図解を使ってすっきりとしたノートになってきた。これは、まぎれもなくこの講義の成果だった。
  これからは、他の講義ではもちろん、将来何らかの職に就いたときにも、図解表現は大いに私を助けてくれるだろう。

 図解のほかにも「ものを理解するということは、全体の構造と、それを構成する各要素間の関係が分かるということである。」「伝達するということは、伝えるだけではなく、伝えたものが相手に達していなければならない。」「全ては"理解"と"企画"と"伝達"」「文章は手で読む」など、いろいろとこの授業を通して、吸収することができました。それらを今後、様々なところで生かしていきたいです。

 私は今、本当にこの講義をとって良かったと感じている。初めは図解なんてそんな役立つの?と疑問を持っていたけれど、やはり文章より図の方がだんぜん読み取りやすい。しかも講義でメモを取りたいときなど、文章で長々と書いたのでは、時間がかかるし、後で見ても良くわからない。けれど図を用いることでスピーディーに、かつ見やすくまとめることが出来る。先日も、この技術のおかげで復習がスムーズに出来た。描く側にとっても、読む側にとっても、やはり図解は一番だと思う。この技術は今後もいろいろな分野で活用できそうなので、この講義が終わっても、自分でテーマを選んで練習し、もっともっと自分の技術を向上させたいと思う。私にとって図解表現はかけがえのない武器となりました。

 再履修の自分が何をかいていいのかよく分からないが、昨年、大講義室でやっていたときよりも楽しく講義を受けられたと思う。もともと絵とか、工作といった類のものを大の苦手としている自分は未だに図解表現が上達していない。しかし、2年連続でこの図解表現と接することができたのは、自分にとってプラスになったと思う。図解表現をすることで、複雑なことでも比較的簡単に相手に伝えられる。文章よりも図の方がはるかに見やすいということを、いろいろなところで実践していけたらいいと思います。飛躍的な進歩はしてないものの、昨年と今年では大分変わったと思う。やはり昨年はまず図を描くことに抵抗があった。ところが今では図を描くということが苦ではなくなり、時に楽しく感じることもあるぐらいになった。

 授業を受け始めたのは春で、図解にであったのも春でした。早いもので、もう夏になるのですが、少しは私にも図で表現するということが身についたのではないかという気がします。"長い文章書くのヤダなー"と思うと、マルや矢印を自然に使うようになりました。「あー図解使ってるー」と周りに言われると、恥ずかしくもなってしまうのですが、素直にやれている自分を嬉しく思います。自分を表現し、高めるための第一歩でした。是非、第二歩、三歩を踏めるように、後期も参加したいと思います。期待してます。

 "何か表現したいものを、とりあえず図にしてみる"という考え方は、私の中の表現方法に少なからず影響を与えた。もっぱら文章で表現をすることが好きだった私は、わからないことや悩んでいることを箇条書きにしたりして整理していた。しかし、文章だと「〜だが、でも〜だ。」というふうに堂々巡りをしてしまうことが多く、改訂要る内に更に悩んでしまったりした。そこで、それらの内容を図にし、流れをつかんでみると、何がその問題の核なのかがはっきりすることに気付いたのだ。例えば、家庭教師で数学を教えているとき、文章を読んですぐに式がつくれれば良いが、なかなか上手くまとまらなかったりする時がある。そういった時、文章で大切な部分を取り出して、それらを数値線なり、図なりに表してみると、自分も教えやすかったし、教えている子もわかってくれたようだった。「そういえば、私が小中学校まで行っていた塾の先生も図が上手で、分かりやすかったなぁ」と思い出したりもした。
  私にとって、図解表現は大変だけれども、やりがいのある大切なことだと思う。これからも様々な場で図解表現を利用していきたい。

 図解表現をやってきてみて感じたことは、図解は難しいが楽しいということだった。元来、私は文章好きの人間なので、最初の方は苦痛であったが、なれてくると結構楽しく使えるものであるとわかった。図解と文章、双方を生かしてこれからやっていきたい。

 図が描けるということは、自分にとっても、相手にとっても理解を深める点で多いに有効である。
  私は相手に理解させる図を書けるような段階には、まだ至っていないが、自分では結構理解できるものが書けるようになってきた。「図を描く」ということは、その前段階として、内容の重文な理解力、図を構成する企画・構想力、相手に伝える伝達力が必要とされる。自分の図解が上達したか(つまり理解力・企画力・伝達力)を測定するには、作成下図を他人に見せて、評価してもらうのが最も有効であろうと思われる。最近の私のノートには図解でいっぱいである。その方が後々になって、見直すとき、楽だと感じるからである。しかも、内容を理解していないと図は描けないことに気付いたので、図を描くことによって、内容を本当に理解しているのか否かも自分で解るようになったのである。また、「図を描こう」ということが「積極的な内容の理解」へとつながり、学力のUPも期待される(?)
  図解は日々の生活の中で活用すべきである。それが技術力を向上し、職業への適用など、自分の身近なものに対して、有効に活用できるからである。誰だって、わかりやすく、見やすく、しかも現在の競争社会では、短時間で理解できるものを求めるはずである。そのような夢の伝達を可能にしたのが図解かもしれない。

とても役に立った授業だった。他の学校にはないのでとってみたが、それだけの価値があったと思う。

 この大学に入って、この講義を受けて、初めて「図解」という学問を学びました。なにか、特殊な授業だなぁと感じましたが、実戦的だというので期待して受けていました。
  文章を読んだり描くのが苦手だったので、新しい表現方法を学べてとても良かったですし、何より受け身ではない授業だったのも良かったようで、私にはとても図解表現が楽しいものでした。
  図解表現は相手に分かりやすく物事を伝えられるだけでなく、自分自身の理解を深められるという点もあり、これからの日本教育に多いに取り入れていくのが良いと感じました。
  図解は、人に教えられる技術ではなく、自分で磨いていくものであるので、これからも発展させ、将来は応用させていけるようになりたいです。

 図解を学んだのは大学で初めて。でも、今まで小学校〜高校でノートを取るとき、私は結構図を使っていたように思う。図は文章には表せない重要点や方向性がはっきりしている。それを深く入り込んで学べたことは、これから、いつか、どこかの場面で役立つのではないかと思う。
 自分の友達の図を最初のころやった時、「この子とは、ずいぶん一緒にいたんだなぁ」とか、感じるものがあった。自分のことについての図をもっとやりたかった。

 一回目の講義で既に相当な刺激を受けて、私はこの講義を毎回受けた。文章が理解しにくいのは私達の頭が悪いからではなく、むしろ文章に責任がある、という言葉に深い感銘を受けた。他の講義で、論文を読んで、趣旨をまとめて自分の感想も書け、というレポートが出て、先日早速図を描いたところ。やはり文章にしやすく、情報表現論を受講して本当に良かったと実感した。何といっても情報表現論の授業以外の場面で利用できたのが非常に嬉しかった。

 自分でテーマを見つけて練習していきたいと思った。今までは何も感じていなかったけど、新聞やニュース番組で図解を用いていると反応を示すようになった。講義では、先生が与えて下さったテーマを、先生の指示に従って図解していくという受け身な姿勢になってしまい、やる気を出せなかった時があって、今思うともったいないことをしたなーという感じです。
  図解表現は、自分のものにできれば、とても強い武器だと思う。13回講義して下さって本当にありがとうございました。

 13回やってきて、世の中にあるいろいろな文章が図に出来ることがわかった。そして図を描くことは「才能」ではなく「努力」だと改めて感じた。
図は国語力ではなく、表現力であると思う。まさに、これは21世紀の日本においての再重要課題であり、それをこの大学で勉強できたことを素晴らしく思う。
絶対、図を自分のものにしたいと思う。

 初めは、正直言って、とっつきにくいイメージがありましたが、講義を重ねてゆくたびに、そのような偏見もなくなり、以前よりも文章をより速く、よりクリアーに理解することが出来ただけでなく、これまではインプットは出来てもアウトプットがなかなか出来なかった自分への苛立ちも解消することが出来たと思います。 ただ、私のように図解で物事を理解するという技術を大人の人は一体どれほど知っているのでしょうか。実際、社会に出てこの技術を知っている大人がいないために宝の持ち腐れにならなければ良いのですが。

 今まで講義の中で様々な図解に挑戦してきたが、その都度、学ぶことが沢山あった。この図解(学?)をもっと深く学んで、今後の生活、将来の生活に生かしていきたい。 

 毎回、さまざまなテーマを通して図解を学んできたが、どれも楽しみながらすることが出来た。これからも、学んだことを生かしていきたい。

 初回授業は正直とまどった。雑誌や新聞などにちょっとした図が載っていたりするが、気にも留めなかった。しかし、最近はその図で立ち止まるようになった。そうすると、わかりやすい図やわかりにくい図があるということに気付いた。自分でも授業ごとに図が上達していくことがはっきりとわかった。(スランプなときもあったが)。この授業を通して、自分が思った最終的な結論は図も使い方だと思う、文章があっての図、図があっての文章というように、図と文章は表裏一体だと思う。どちらも殺し合わないような図が描けるようになれば、とても良い図になると思う。

 この講義で私は学んだことが沢山ある。具体的に例を挙げると
(1)"社説"のような難しい内容の文章でも、図解にすればパッと見ただけですぐに内容を把握できる。またその理解度は文章よりも適確である。
(2)図は本当に見る人の興味をそそる。関係図はその最たるものであると思う。"へぇ、こんな関係になっているんだぁ"と驚くことは文章と比べると本当に多い。
(3)矢印に接続詞を加えることは本当に良いと思う。この作業は新聞などにも多く取りいれるべきだと思う。そうすれば理解度もさらに深まることだろう。 などである。本当はもっとあるのだが、今は思い浮かばない。後期のプレゼンも是非取りたいと思う。

 この情報表現論の講義を受けてきて、自分の図解に対する考え方がすごく変わったと思う。今までは何かの補足に図解が使われていれば、それを見て「うん、なるほど」と見て終わりだったように思う。だけど、今思えばそれは、結構理解するのに大きな役割を果たしていたし、文章よりずっと記憶に残っていたと思う。
  久恒先生やその他の人たちが作った図解を毎回目にすることによって、図解表現は本当に千差万別というか、ひとりひとりの個性が表れると思ったし、教科書や新聞、その他のあらゆる分野において、もっと頻繁意図解を活用すべきだと実感した。わかりにくい文章があったら、図を描いてみたり、何か考えに詰まったら図で表してみるなどして、これからも自分なりに図解と関わっていきたいと思う。

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