平成十一年度『図解表現と私』

 私がこの授業を履修しようと思ったのは、今まで文章を書くことをとても苦手としていたからです。シラバスでは「論を図で表現する」という授業に興味が湧きました。初めの頃は文章よりさらに美術的なセンスに欠ける私が本当にそのような技術を身につけることが出来るのかとても不安だったのですが、授業を数回受ける内に、その不安は消えて「自分がどこまで変わることが出来るんだろう」というワクワク感のようなものに変わっていきました。そして、実際に、回を重ねるごとに、自分の技術が上達していくのがひしひしと分かり、今までできなかったことが出来るようになったという自分への自信につながっています。
  この授業を受けて一番大きく身についたことは、文章の理解力です。図解表現の知識を学んだことで、今まで理解しづらかった難しい文章が、パッと頭の中で整理されて、そこから以前より多くの情報を得ることが出来るようになったと思います。
  この授業は先生が「皆の人生を変えるかもしれない」とおっしゃっていましたが、本当に、私にとっては、それほどに刺激的なものでした。これからも、自分で何度も練習して、この技術をしっかり自分のものにしていきたいと思います。

 図解表現を体験、そして完全であるというまでには及ばなくとも、ある程度習得できて、初めの頃の自分とでは、まるで違うのに気付く。
  そもそも、この宮城大学で勉強して身になるといったら、これくらいなものだと思う。他の授業にも確かに良いのもあるが、これほど実学になっているとはいえない。元々、自分は活動型の人間ではあるが、口ベタなので、こうした図解を通して、他人の理解を得ることが出来れば素晴らしいことだ。だから、今後もじっくりと腕を磨いていくつもりである。

 この講義を受けて、文章を単なる文章ではなく、何らかの塊として見、読み、理解するようになったと思います。もっと早くから図解ができていればと思う反面、これから絶対生かしていこう、という気持ちです。
 また、この図解表現はHP作成にも役立つと私は認識していますし、どうやったら見てもらいやすいHPになるのか現在思案中です。 文章を書く際にも、内容を一つの塊として考えるようになりましたし、そうすることで、流れが把握できるようになりました。(自分で書いていると、何度も同じところに戻ったりすることが多くあったので)
  成績うんぬんに関わらず、毎回「出たい」と思う講義でした。本当にありがとうございました。

 13回の講義で、図解を学んでいくうちに、自分の生活の中に図解がどんどん入ってきた気がする。ノートを取ったり、色々なところで図解を使うようになった。しかし、まだまだしっかりした図が描けるわけではないので、ちゃんとした図が描けるようになりたいいと思う。

 この授業に出れば出るほど、この技術を身につけたいと思う気持ちが強くなるんだけど、演習するたびに自分はまだまだダメだなぁと思ってばっかりでした。でも、授業は終わるけど、先生の本を買って沢山練習して卒業までに、この技術を身につけたいと思います。どんな職業になりたいか全く決めることが出来ない最低な自分ですがこの大学に入って、初めて、心からこの技術を身につけたいと思えることに出会えて、本当に嬉しく思います。先生に感謝します。がんばります。

 先生はしきりに「図解は技術」と言いますが、私は絶対「センス」であると思います。つまり、私には「絵心」がないので大変難しい授業でした。丸い図形が上手く描けずにイライラすることも多かったです。理解でき、それをイメージできても紙面に至るまで他人より障害が多いのです。
  広告においても、カメラを描くことで、クオリティーがあがることは、よくわかっていますが、私には描けない。下手だ。もはや屈辱でしかない。なので今後とも気合いを入れて頑張ります。

 図解表現の技術は他人の理解を助けるものだけではなく、自分の考えを整理してくれるものでもあると感じた。例えばある文章を一度、図解化して、それを再度文章にすると、だいぶ構成がすっきりする。
  つまり、図解表現はひとつの言語なのだと思う。翻訳作業を介することによって自分の言いたいことがはっきり分かるのだ。

 「情報表現論」の講義は僕にとって前期一番の授業だったと思います。なぜなら、他の講義とは異なり、自分の意見、考えを皆に発信するという機会を与えてくれたからです。
  やはり、教授の話をただ聞くだけでは、どうしてもあきてしまうので、久恒先生の授業はその意味でとてもリフレッシュできました。
  図解というものを初めてやってみて、初めは難しいと感じましたが、回を重ねるごとに、そのコツが少しつかめたような気がします。
  文章一辺倒よりも、絶対図を駆使したほうがわかりやすいし、自分の理解度も確実にアップすると思います。後期の授業も期待しています。

 今までの新聞の読み方は、ただ目を通していたに過ぎなかったと思う。社説は偉い人が書いているんだから、きっといいことが書いてあるんだろうぐらいに思っていた。しかし、じっくり読み、図解してみると、矛盾点や疑問点がわいてきた。そして、筆者の言いたいことも良く頭に入った。自分の意見が出せるようになったことは図解の技術を身につけた上で、大きな収穫だったと思う。図解を軸として、いろいろなことに取り組み、それについて議論・表現できることは素晴らしいことだと思った。社会問題を自分の身近な問題として捉えることができた。
  これからも図解をどんどん取り入れて自分を改革したい!!

 図解表現は苦手なものだった。年齢のせいか想像力が貧しかった。この影響で図解表現がどうしてもうまく出来なかった。この授業を通じて、何回の練習や訓練をやって、何か少し変わったような気がした。でも、自分の図解能力がまだまだ上達できなくて、この授業も終わるから、残念だった。もっと訓練して欲しかった。この授業が短く感じた。
 この訓練の中で、一番難しいのは、人物像の図解だと思った。社説など、少し簡単で、優しいかなぁと感じた。広告も難しい。ただ一枚の図解を通じて、見る人の心を動かして興味を起こすのは容易なことではない。
 この授業を取って良かった。

 まだ、プレゼンテーションで使えるレベルには達していないというのが自分の評価だ。箇条書きのプリントやOHPでプレゼンをするよりも、図でプレゼンをしたほうが流れがつかみやすいのは明白だ。今後レベルを上げていきたい。
  第12回のアンケートに書いてあったことを基に考えたのだが、図と文章との違いは、見やすさ、楽しさであることを再確認した。図の方が見やすく、見る気になるし、ある種の楽しさを入れていけば、公的文書などでも、かたくならずにすむのではないか。しかし、文章でも、小説のように、文の言葉遣いに深みや味わいがあるものもある。図でそこまで出すことが出来たら、文章を越えるのではなかろうか。

 今までの授業で、図解表現に関しての知識をいろいろ勉強しました。ただ一つ、すごく分かってきたことは、図解表現が上手く出来るかということと、頭の軟らかさには関係があるということです。私はやはりだめです。でも先生の授業を受けて、本当に良かった。書物を読むより、うまい図解を見るほうが楽だと思います。人生は有限である。知識にが限界がある。いろいろ出版された本と共に図解でも、みんながもっといろいろ勉強できるのではないかと思います。

 難しい文章、記事の白書などを、自分の中で消化するための一連の作業が図解表現だったと思います。
 私にとっては、自分の日頃考えていることを、うまく言葉に出来ず、文章に出来ないものを図にして表すことにより、他人に伝えられるようになったので、自分なりに得たものはあったと思います。

 表現技術の授業を通し、完璧ではないが、図解表現のノウハウが分かってきた。私は小学・中学・高校とずっと国語の読解力が無く、いつも苦労してきた。なぜこのようになったかというと、あまり本を読まなかったからだと思う。だから、遅いかもしれないが、今、少しずつ本を読んでいる。
  先生がいつかの授業で「図解表現力がつくということは、読解力がつく」とおっしゃっていました。これを聞いて、自分なりに読解力をつけるために文章を図に変えていった。
  しかし、いまだに自分の図が他人に上手く伝わるものにはなっていないと思う。もっともっと頑張っていきたい。それから、あまり関係がないが、先生がいつも配る新聞の切り抜きや、プリントの文章がとても面白かった。

 現在、世の中は視角で訴えることが多いので、非常に役立つ講義だと思います。
  文章を読んでいて、図のイメージが湧いてきたら、理解で来たということである、さらに相手に内容を説明したと同じことになり、とても素晴らしいと思います。
  会社においても文章の多い資料より、要点がはっきりした図解の資料の方が従業員に訴えるものが大きいし、皆のアイディアもどんどんでてきます。 中年の管理職に先生の指導を受けさせてはと思います。

 今までの授業を通して、様々なものを見る目が変わりました。これまでは、何が正しくて、何が正しくないことなのか、社会の動きに対して、自分はどのような意見を持つべきかがわかりませんでした。そのため、問題意識を持つことができず、例えば、政治家がいうことは、どれもいいような悪いような…という感じでしか捉えることが出来ませんでした。
  けれど、そこから脱出するための方法を知ったことによって、これから、どのような出来事がおきても対応していけそうです。
 この授業を全ての人が受講するなら、社会が、日本や世界が変わるのに…と思います。
 毎回のテーマでは、面白いテーマばかりでしたが、私が一番興味があったのは「教育」のことです。そして、取り組んでみて、図解の働きの素晴らしさを知り、社会に関心を持てるようになったのは「介護保険制度」です。これからは、テレビなどを見て、図解を組み立てられるようになりたいです。
  充実した時をありがとうございました。

 この授業を受ける前までは、図についてあまり興味がなかった。文でも図でも伝わってくるものは、一緒だと考えていた。しかし、授業が進むに連れ、図と文の与える印象が全く違うということが分かった。また、文を図にすることで、より一層伝えたいものが分かってきた。さらに、文を見ると、自分だったらこんな図を描くだろうと文をじっくり読む癖がついてきた。 いろんな授業を受けていても、この授業は楽しく受けれたし、社会人になってもかなり役立つと思う。

 今まで生きてきた中で文を読んで理解するといった時に、頭の中で図を描くということはやってきたんだということが授業を通じて解った。しかし、これを紙の上に描くというのは、なかなか難しい。事物を理解する、又は、させることにおいて、図解と言うのはこの上ない武器になるということが解った。

 ものともの、こととことの関係を明確に示すことが出来るものがこの図解表現だと言うことが授業の中で実感することが出来た。この授業で学んだものは今後も生かさなければ無駄になるので、何かのテーマを見つけて図にしていくという努力はしていきたい。
  文章だけで表現するのには、難しいところもあった。図を使うことで文章を分かりやすく、そして文章を使うことで、図も分かりやすく描くことが出来ればいいと思う。

 図解表現は私にとって、文章至上主義からちょっとずつ解放してくれた革命的な表現方法である。良い図解が描けて、良い文章が書けるのなら、図解をもっと究める必要があると思った。

 最初は図なんて描いたことがなかったので、どうしようかと本気で悩んでいたけれど、今は「慣れ」が大事だとわかりました。特に宮城大学の理念を3回にわたって図にしたり文に直したりしたのが印象に残っています。私の中では、一番練られた良い作品だと思います。図解はこれからの社会で色々な可能性を持っていると思うのでどんどん活用しようと思います。

 最初はとまどい、どこらか手をつけて良いのかさっぱり分からなかったが、徐々に図というものが描けるようになった。図を描くことの面白さを知ったし、周りの人や先生の図を見ることで、自分の図が目に見えて進歩していった。また、文章でまとめるより図でまとめたほうが、理解度が高いということを改めて実感させられた。"情報表現論"は私の中で革命を起こした。授業はもう終わりだが、きっとどこかで図解する機会があると思う。講義を生かしたい。

 事業プロジェクトでフローチャートを作れといわれた時、図解表現が出来る人と出来ない人で、かなり大きな差が出ていて、いつのまにか図解表現の力がついていたことに驚いた。自分は文章表現がどちらかというと下手なので、別な表現のしかたを勉強が出来てとてもよかったです。今までの教育の中でこういう授業と言うのは無に等しいものであったから、大学に入ってからだけではなく、もっと前の小中高でもこういうものを取り入れるべきではないだろうか。

 難しい文章、専門外の文章でも、図解をすることにより、かなり理解できるようになった。しかし、より分かりやすい簡潔な図解がまだ出来ていないと思う。今後は他の教科や日常生活の中で図解を生かし、今よりも、さらに技術を上げ、社会に出てからも、図解の技術を生かしたいと思う。

 「情報表現論」という講義名を聞いて、まさか「図解の技術を身につける講義」だとは全く考えていなかった。講義の初めのうちは、文章を読んでも図のイメージが全くわかず、行きづまることが多かった。もちろん、今までもそうだが、今はなんとか自分の力で突破口を見つけることが出来るようになったと思う。
  私がこの図解表現という表現方法が大変良いなと感じたのは、描いたり見たりした「図」が頭の中に「図」として強く残ることだと思う。今までこの大学に入るために沢山勉強してきたけれど、今になっては、ほとんど覚えていないことばかりだ。その時から「図」での勉強をしていれば、今でも頭の中に残っているはずだと思う。
  そして、何よりこの講義を受けて変わったことは新聞などのある程度の文章のつながりが頭の中ですっきりと理解できるようになったことだ。「ここがポイントだ」と感じるところには線をひく。この作業がいい具合に定着化した。
  これから夏休みに入るが、短い文章でも短時間でパパッと図で解説できるように断続的に描き続けることが大切だと思う。ぜひ実践したい。

 一番最初、図解を描いたとき、この講義を取って失敗したなとすごく感じました。なぜなら、全くといっていいほど、図が描けなかったからです。図なのか絵なのか何が何だかさっぱり区別がついていない状態で、2回3回と講義を通し、図解を描くにつれて、なんとなくではありますが、図というものがつかめたような気がします。他の人に比べたら、私の図解はまだまだ下手だし、ポイントもつかめていないけど、私は図解をつかめたということがこの13回で得た一番大きな事だと思っています。文章を図にし、図を文章にする、すごく大変ではありましたが、これがスラスラできるようになれば、どんな本でも理解しやすくなるのかと思うと、なんだか嬉しいです。私は高校の頃までの教科書のことを暗記し、テストの時に紙に書くという作業になれ、頭がすっかりカチンコチンになっていて、大学に入り、自分の考えや意見、新しいことを考える、本を読んで調べるという課題が出来なくてとても苦労してしましたが、図解表現ということが知識の中に入ってきただけで、だいぶ頭も柔らかくなってきたのではないかと思っています。これからの大学生活、社会に出た後、この図解表現はとても役立つと思いますが、講義が終わったから図解を離れてしまったら、また頭が固くなると思うので、できるだけ図解を描くということを心がけていきたいと思います。

 私には、まだ図解表現は理解していません。けれど、たった数ヶ月、週一回の授業や演習で図解表現をマスターできるはずはないので、これからの私の関心の度合いによって、力がついていくか、いかないか分かれていくと思います。今の時点では、ぜひ活用したい!!!と意気込んでいる状態ではないのですが、機会さえあれば、活用していきたいと思っています。
  今回、初めて図解表現という技術に触れたわけなのですが、本当にこの「情報表現論」を選択して良かったと感じています。センスの無さは実感しましたが、この技術の基礎の基礎を頭に入れて図にするという経験がとても新鮮で、やっていてとても楽しかったです。 これから図解表現とどのように接していくかは私次第です。何かをやる度に「これは図解表現技術を使えるか?」と考えながら勉強していきたいと思っています。

 図解表現と私は、とても相性が合いません。「描く」ことと私の中は険悪です。でも、この講義を通じて、私が「描く」ことと仲良くなろうと努力することが出来たと思います。まだ、ぎくしゃくしていますが、時間をかけて頑張れば大丈夫でしょう。過去に植え付けられてしまった「描く」事に対する嫌悪はそもそも、絵を描くことが苦手で嫌いだったことから始まったものでした。
  でも、図を描くことは、絵を描くこととは違うことが分かった今は、偏見を捨て、楽しさを見出していけたらいいなと思っています。4年後には社会で有効に使える私の特技にしていけたらいいと思いました。

 半年間、本当に勉強になりました。ありがとうございました。私は図をかくのにはあまり抵抗が無かったのですが、この授業を通して、沢山考え、落ち込むこともありました。でも頑張れました。先生の上手な授業のおかけで最後まで13回みっちり学びました。看護の世界に入ったらここで学んだことを十分に生かして頑張っていきたいです。
  図解表現することは、まるで自己表現です。自分の知らない自分をどんどん出せると思いました。

 私は最初の頃は文章を書くのも苦手だけど、図にも上手く表現しきれないのではないかと感じていました。でも、少しずつうまく描けるようになってきて、ちょっとは文章を図に書くのに慣れてきたかなと思っていたら、どんどん難しくなって、図解はやりがいがあるんですが、自分の力がだいぶ足りないような気がしてきました。ちょっと私の中では中途半端な終わり方になってしまうので新聞や雑誌を見て図に直す練習を続けて、社会に出て看護に役立てられるくらい上手になりたいと考えています。そのために社会のことを沢山勉強したいと思いました。

 もう13回になるとは早いものです。でも自分にはどのくらい春から成長したのか全く分かりません。図解表現をやってみて、役立てられる場面があったら、思う存分使って授業で学んだことを生かしたいと思います。
  あと、講義の知的生産の技術を受けようと思っているので、そこでまた自分の技術を深めようと思います。

 初めの方は図解をする時に「上手、下手」ばかりに気を取られてしまって、図のきれいさばかりを追っていたが、回を重ねるにつれて、自分の頭で考えて図の「深さ」を大切にするようになっていることに気づいた。
  また、図解を知るに連れて、文章のよさをも学ぶことが出来たし、文章の骨組みから、文章が本当に伝えたいことをかみくだいて理解できるようになったので、この講義を通してやっぱり図解表現は私にとってプラスだったと思っている。

 初めての講義で戸惑い、図に対して「私にできるか」という気持ちが強かった。だが様々な分野に「図」という形式で触れ、図が文章よりもその説得力が勝るということを知った。
  また人の文章を図にすることでその人の主張ばかりでなく、自分自身の考え、疑問などが明確になったことに驚いた。
  自分の将来を考えてみると、看護という立場で他人(患者)に何らかの情報を与える場面を迎えた時、自分なりに図を組み立て、与えることが出来るようになると思う。
  結局図解表現とは自己表現でもあったように思う。

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