キャリア開発史

英国病と「知的生産病」

 「多忙は人気のバロメーター」「きょうの仕事はきょう中に」。知研のみなさん、これを一体何だと思いますか。実は、これはある宗教団体のカレンダーポスターの標語なんです。これを英国で発見した時、私は、日本人という民族に対し戦慄というにふさわしい衝撃をうけました。日本株式会社を支えているのは、官民どころか、宗教界もそのにない手だったようです。
 いま、日本で大流行の知的生産面から英国をながめてみますと、ただでさえ少ない大学生(全人口の7〜8%)のうち35%くらいの人々が教育界へすすんでいます。教育界は、いわば知性の消費の場であります。反対に、生産を担当すべき知的リーダーの質はさほど良くないのが実情です。いわば、英国は、知的消費、あるいはもっとすすんで知的浪費の社会とよべるかもしれません。
 ひるがえって日本をみますと、物質の生産だけでは物足りなくなった人々(高収入と高学歴化、つまり衣食足って―住は入りません―礼節を知った人々)が、自らの生活を、より意味のあるものにすべく、仕事時間外も知的生産にはげむという現象がおこっています。試みにこれを「知的生産病」と名付けましょう。役に立つ知識を得る学問、つまり実学の伝統が日本にはありますが、この「知的生産病」の患者たちは、仕事をも含めた広い視野から自らの人生に視点をあてています。いまや「知的生産病」のまんえんした日本の社会は、世界の中で、病的なくらいに極めて健全な社会、あるいは、特殊な末恐ろしい社会のどちらかになりつつあるような気がします。
 英国の知的消費の他の例は、アダルトスクール(成人学校とでも訳しますか)です。ここでは、イギリス人、インド人、アラビア人、中国人など極めて多様な人々が学んでいます。かれらをみていますと、何かをなすために勉強するのではなく、楽しみのために学校へ通っていることがわかります。ですからイギリスには、知的中間層などというものは存在しえません。「知的生産病」の患者の大群を名付けた知的中間層は、知的生産の技術の「技術」の研究は、目標がないかぎり不毛なものとなるであろうことを知っています。
 先日、森嶋通夫先生とお話する機会がありましたが、氏は、知的生産ブームを良いことだとは認めながらも、日曜大工になる恐れがあると指摘されていました。知的生産が日曜大工になるというのは、世界が自己完結してしまう、つまり自己満足におちいるということですから、世界に何らかの価値を付け加えるのだという意識が大切だということなのでしょう。「イギリスと日本」(岩波新書)の中で、日本は軽い英国病にかかるべきだという言葉がありますが、慧眼だと思います。
 結局、知研は、知的生産病(もっと言えば日本病とも言えるかも知れない)の典型的な例だと言えますが、あまり問題意識の高い人々だけがこれをやっていると、いつまでたっても英国病にはかかりません。知研の今後の役割の中には、日本の社会を大人ならしめるため、日曜大工を育成させることもあるのではないでしょうか。
 日本の知的生産は、投資が利潤を生むという拡大再生産ですが、英国は、資本主義の原理を放棄し、縮小再生産をおこなっているようです。このような国では、日本の知研のようなグループの育つ可能性は小さいと言えます。そう考えると知研というグループは、日本独特の文化と土壌の中で育ったのだということがわかります。私の考えでは、今日叫ばれている高齢化社会、高学歴社会へむけての、1つの大きな試みとして知研が登場してきたのではないかと思います。実はこの動きは、生涯教育などという「教育」の問題ではなく、この日本人が将来にわたって生き残れるような柔構造の社会を建設できるかという新たな実験のような気がしています。(ちょっと言いすぎかな?)
 蛇足ですが、私はロンドンで、毎月の「知研ニュース」を読みながら、早く日本に帰って知研に参加したいと日夜思っている知的生産病の患者の1人です。

(札幌知研会員・日本航空勤務、ロンドン留学中)

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