プライベート

久恒啓子(母)の歌碑

  母 啓子と歌碑   母 啓子  
第一歌集「風の偶然」
第一歌集
「風の偶然」
第二歌集「風あり今日は」
第二歌集
「風あり今日は」
第三歌集「明日香風」
第三歌集
「明日香風」
  第一歌集「風の偶然」
「合同歌集」
  第三歌集「明日香風」
遺歌集
「風の余韻」
 
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久恒啓子 昨日今日とは思はざりしを (邪馬台 横松 宗先生追悼号)
歌集 『風あり今日は』 (知研フォーラム279号)
古代の眼 現代の眼 弱者への眼 (短歌現代十一月号)
折々のうた (朝日新聞04.12.19)
天国の夫にささぐ500首 (朝日新聞 04.08.20)
「社会につながる日常の風」を歌う------久恒啓子の歌人生 倉屋敷太郎(久恒啓一)

久恒啓子(母)の著作

万葉集の庶民の歌
万葉集の庶民の歌
  私の伊勢物語
私の伊勢物語
母の初めての著作。
万葉集巻十五に八首載っている、大分県中津市の分間の浦でうたわれた歌を詠んだものである。
  「万葉集の庶民の歌」に続く、自費出版の2冊目の母の単著(久恒啓子著・短歌新聞社)。
季刊の同人誌に書き綴った文章をまとめたものだが、テーマ(志)を持つということの意味と、一歩一歩と歩んでいく継続することの重みを改めて感じた。
万葉歌の世界
万葉歌の世界
  風の余韻
風の余韻
女流歌人が詠み解く!
万葉歌の世界
今に詠い継がれる最古の歌集
(久恒啓一監修・久恒啓子著)
  久恒啓子遺歌集
追悼集

母が私のことを詠んだ歌です

<高校生>
朝の厨に貧しき人のため弁護士を志すと吾子はわれに告げに来
箭山路をバイク二十粁に制しつつ吾子の進学費目算しみぬ
<浪人時代>
合格者発表のテレビに吾子の名のなければ消して真夜立ち上る
志曲げずと二期校を放棄せし吾子の口元にその父を見る
予備校に発ちてゆく車窓の子にありふれし言葉のみしか出でず
子の去りし部屋に貼らるる自らの励ましの言葉剥がさずにゐる
浪人となりたる子より来し葉書碁の本と共に夫は置きゐる
<大学生>
連翹の黄が開きゐる構内に入学式粉砕のビラ貼られゐる
中核派と民青のアジ合戦がジェット機の爆音にしばしとぎるる
入学式終へたる吾子の衿元にJのイニシャルを夫はつけやる
無期限ストを告げてくる子の電話の中博多の宵の騒音きこゆ
学生運動に共鳴せしも行動に踏みこめずゐると子の便り来ぬ
約束の街角に子は横断歩道の人ごみを縫ひ手を振りて来る
玩具の如く組立てし理論よと夫は言ひつつ子にウヰスキー注ぐ
探検隊に加はりゆく子を送りきて奄美大島の予報聞きゐつ
毒蛇に噛まれむときの血清を持ちゆくと子はさりげなく言ふ
命だけは大切にしてと声かくるリュックの背の振りかへらざり
僕が死ねば良き歌出来むと子の言ひしことばにこだはり一日籠りぬ
台湾へ発つ日近づき手料理を食べたしといひて子は帰り来ぬ
遂げざりし思ひを子にと台湾へ行く子の資金無理してつくる
指の間より汁したたらせ桃食めば千魃の島の吾子し思はる
基隆、台北、台中、花蓮とさすらへる吾子の便りに中国語まじる
台湾の旅の終りにわがためと子は選びしや翡翠のみどり
柿の木も井戸も幼き日のままに残せと言ひて子は去りゆけり
帰省せむ子の靴音を腕組みて待ちゐる夫の白髪増しゐぬ
不況時の就職試験の迫る夜を夫の助言の電話に長し
就職試験に子の発ちゆかむ空に向き見ゆる筈なき機影を探す
受験のとき励まししその街角にヨーロッパへ行く吾子を見送る
帰国せし子は闘牛士の真似をして挫折を知らぬ明るさにゐる
子に逢へば別れのときを忘れゐて雨のタラップつまづきのぼる
<社会人>
就職の決まりたる子は送りゆくわれの歩巾に合はせて歩む
札幌へ転勤せし子に送る手紙桜前線追ひこしてゆかむ
ヨーロッパ行きを決めたる子は父に似ぬ異性なり遠ざかりゆく
涙拭へと友のくれたるハンカチをロンドンへ行く子の機に向けて振る
今ごろは北極の空を飛びてゐむ子の残したるパンを食みゐる
子の机に置かれあるロンドン・タイムスECの文字がトップに占めゐる
訪ひし子はロンドン滞在一年にてスープの音をたてず飲みゐる
半年前は知らざりしひとの姑となりビルの間を肩よせあるく
嫁のくれしシャネル五番の香水が雨しぶく傘の中に匂へり
嫁達に夫は誕生日祝はれてケーキの蝋燭吹き倒したり
とりどりの雨傘通りてゆく銀座茶房に臨月の嫁と見てゐつ
信濃の山を清く流るる梓川に因みて孫を梓と名付く
図書館と海の近きが取り柄ぞと九階の空間を購ひし子は
七十ヘーベの空間の支払い契約が三十年とぞためらひもなく
子の住まふマンションは九階なか空の白雲と共に漂ふごとし
子と嫁の起きて来む間をリビングのテレビは世界の天気図うつす
人工浜へ続く並木のプラタナス葉交ひの小花を嫁の見つけぬ
出版せし子の書のあり処確かめぬ買い物帰りの辻の書店に
はじめての話のごとく聞きてゐつ酔いて帰れる子の武勇伝
もっと何か話すことなどあるごとき思ひをのこして子の家を出づ
送りたる野菜にまじりて仏の座の小花ありぬと嫁よりのこゑ
円高を嘆きゐる子と原油安を喜びゐる子を夜半に思ひぬ
いま一度子の住む東京へ行かむとぞそれのみ言いて夫を励ます
変われることはなきやと問へり電話にてくしゃみ激しき花粉症の子は
出張の帰りに寄るとふ子に作らむ鱧のちり鍋きぬ貝のぬた
もはや子は仕事のことを考へゐむ後姿みせて帰りゆきたり
夕餉もとらず戦艦「大和」を組立つる児もその父も戦を知らず
内定ゆゑ誰にも言ふなと昇格を真先に告げ来声を低めて
壁にかかるカレンダー20のアラビア文字ただに目がゆく子らの帰る日
汝の人生は汝のもの言ひし夫が拒否反応見す子の転職に
二十余年務めしビルの灯眺めつつ感傷示さぬ子とワインくむ
後半は大学にて若者育てむと未来のみ言ふ子を眩しみつ

母 啓子の幼き日の写真  家族と共に

母 啓子の幼き日の写真  家族と共に

母 啓子の幼き日の写真  家族と共に
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