先進国日本の知的生産病患者諸君へ現在の日本経済の実力はかつて七つの海を支配した大英帝国の活躍に匹敵するものです。海外から日本企業の躍進の秘密をさぐろうと、数多くの人々が来日しています。高い生産性をあげている日本式経営とは、一体どういうものでしょうか。 l 生産性の向上について幅広い国民的合意が成立している(ビジネスウィーク誌) 以上が、ここ最近の新聞・雑誌の記事に紹介されているものの一部です。ひと昔前、年功序列で終身雇用だからぬるま湯のため、活力が生まれるわけがないとか、企業内組合だから経営に対し弱腰で賃金があがらないとかいう議論が盛んであったころとくらべ隔世の感がします。最近の論調をみて気がつくことは、日本の今日の成功の原因を、日本の特殊な文化にもとめる傾向が強いことです。文化の差をもたらすという考え方は、頭が良いからいい点数をとれるのだという宿命論的な考え方と同じであり、勉強の方法や生活の律し方、ノートのとり方等を全く無視する議論と同じであります。よい結果を生みだすためには、必ずよい方法が存在します。日本の今日の成功にも、文化にねざすものが大きな比重を占めていると思います。昔日のイギリス、最近のアメリカ、今日の日本が各国から研究の対象とされているのは、すばらしい実績をあげたためであり、その国の持つノウハウを学びたいがためでしょう。要するに、勝てば官軍なのです。日本が成功したのは、日本民族がすぐれているからだという考え方は、敗戦後にみられていたように、日本が負けたのは日本民族が劣っているからだという議論と同様、不毛で危険なものだと思います。 知的生産も同様であります。知的生産の技術を学ぶのもよい知的生産を行うためです。「結局、あの人は頭がいいのだ」というようなあきらめですましてしまう人には良い知的生産はできないでしょう。日本の企業の実力が向上してきたのも、すぐれた国々のすぐれた技術を学びそれを日本の風土にうまくフィットさせたからだと思います。今や、日本は、先進国から学んだ技術(QC活動やZD運動)を逆輸出しています。学者や評論家等、知的生産のプロが持つ技術を一般の人が自分のものにして価値の高い知的生産を行う時代がきつつあります。カラーテレビや自動車、半導体と同様、いい知的生産物を生産すれば、おのずから、日本の知的生産の技術も普遍性をもつということでしょう。知的生産のすばらしさを語るだけで、自分は生産しない人、そしてその技術のみを語る人には決して知的生産はできません。なぜなら知的生産物を生産しない知的生産者などというのは、この世に存在しないはずですから。 知研ニュース 80・10・1 |